99%と1%
2009年2月
2008年9月末のこと。
私は、BBCテレビのニュースを見ていて、背筋にゾーと来るものを感じた。世界中の株価急落。欧米の大銀行の倒産の危機を報じていた。なぜかこの瞬間、「ああ、この金融資本主義の危機は、以前のように時とともに回復することはありえないのだな。あとは、人間の造った空中楼閣が音を立てて崩れて行くだけ。今が、急速な崩壊の始まりなんだ・・・」と思った。
いつかは来る、と予期していたことだが、テレビニュースは、まるで絵巻物を見せつけるように、私に、この地上の社会経済体制の崩壊の様子を告げていた。強固に見えていた現代社会の基盤は意外なほど脆いもので、各国の繁栄は、まさにバブル(泡)そのもの。今、泡が消えるように消えようとしているのだ。金融資本主義による繁栄は、何兆円、何百兆ドルでも、すべて実体ある(物)ではなく、金(かね)という抽象の数字が、さらに金(かね)を生むという約束事の上に成立しているトリックのようなものだ。このトリック的「繁栄」を続けるためには、ただひたすら経済の拡大再生産を続けるしかないのだが、どうやってみてもこれには限界がある。
日本のバブルは、土地の値段を吊り上げた。土地の値段が短期間に五倍にも、十倍にもなるというのは、まさに実体経済ではないところで、泡を膨らませているトリックだ。膨らんだ泡は、最後にパッとはじける。経済的バブル崩壊だ。土地の値段も株価も大暴落し、日本経済は大停滞した。
アメリカのバブルは、サブプライムローンという名の金融商品を、ほかの様々な商品に混ぜて、世界中に売りまくってパンパンに泡を膨らませた。はじけてみれば、貧しい人々はローンが払えず家を失い、不景気になった企業のリストラで、失業者が巷に溢れた。もともとサブプライムローンの企画は、月収20万とか25万の貧しい人々に、「プール付きの家が買える」という夢を見させて多額のローンを組ませ、彼らの支払う利息で、この金融商品を買った金持ちや会社が儲かるという仕組みだった。が、数年後に返済金額が上がると、貧しい人々は返済できなくなって、次々に家から追い出された。
アメリカの信用が失墜し消費者の購買力がなくなると、日本や中国もたちまち車や電気製品などの物が売れなくなって、不景気に突入した。
日本のテレビニュースは派遣切り、期間労働者切りの様子を伝えはじめた。「十日後にクビ、同時に寮も出てくれ」何年も勤めた人々も、正社員でないという理由で、何の身分保障もなく、退職金もなく、企業の一方的都合でクビを切られた、まさに「使い捨て」労働者である。
小泉首相、竹中財務大臣の時代に、日本企業の国際競争力を高めるためと称して、長い間労働者を守ってきた労働基準法を改悪し、何の身分保障もない派遣労働者、期間労働者を大量に作り出してしまった。これにより、日本の大企業は空前の好景気を享受したらしいが、その利益は低賃金、「使い捨て」の派遣労働者たちが汗水垂らして生み出したものだ。がその利益は株主への高配当、会社の資産、役員や正社員のボーナスなどになり、派遣労働者たちはまったく分け前にあずかれなかった。そして、世界的不景気が襲ってくると、いきなり、「十日後に出て行け」なのである。
2009年1月20日、アメリカではオバマ新大統領が就任した。彼は、就任演説の中で、「富裕層のみを優遇する国は、長く繁栄できない」と語った。日本も社会全体が若い人々を大切にせず、派遣やフリーターに追い込んでこき使うばかりである。そして、血も涙もない「使い捨て」。これでは、若い人々が人生への希望を失い、自暴自棄になって、「誰でもいいから殺したかった」などと社会への不満を理不尽にぶつける事件が多発するのも当然かもしれない。人間将来への希望を失っては、まともに生きて行けないのである。この状態が続けば、日本の国としての未来も真っ暗である。
アメリカのブッシュ大統領、日本の小泉首相らが唱えた新自由主義経済とは、99%の国民を貧困のままに置き去りにして、大銀行や大企業とその株主たち1%の「富裕層」が、国の後ろ盾をバックにやりたい放題儲けを追求する「自由」を国が認めようということだ。大企業の競争力アップしか考えないこの政策では、国民に対しなるべく多く課税し、社会保障費はできる限り削ろうとする。歳出の少ない小さな政府という言葉は聞こえがいいが、結局それは社会保障費を削った、安心して老後を生きることのできない社会を意味することになる。75歳以上の「後期高齢者」はわずかな年金から、さらに追加の健康保険料を天引きされるという。子供に扶養されていて一円の収入もない老人も、追加保険料を支払えなければ、一年後に健康保険証を取り上げられるという。
日本は、世界第二の経済大国なのだから、国が政策を変えれば75歳を過ぎたら、医療費はタダ、介護サービスもタダとか、安心して老い、死ねる本当に豊かな国にすることも、できない話ではないだろう。
大多数の国民を無視した、「富裕層のみを優遇する」政治は、一刻も早く変えねばとつくづく思う。小泉さん以前の日本には、良くも悪くも固有の文化があり、日本型資本主義と言えるものがあった。会社は雇った社員を大切にし、一生養う心づもりがあったし、社員の側も、会社への忠誠心が強かった。この頃は九割の国民が自分を「中流」だと思っていられた安定感抜群の社会だった。労働者が「使い捨て」にされたりしなかったのだ。今のように人間が人間扱いされなくなった社会には、未来はないと痛感する。オバマさんではないが、差別や格差のない社会、人間が人間らしく自信を持って生き生きと生きられる社会は、いつかこの地上に出現するのだろうか。そんな日がほんとうにやってくるのだろうか?
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