ガンガ豊饒 3
結婚という名の人身売買?
ニューデリー滞在中のある日曜日。英字新聞「ヒンドスタン・タイムズ」の日曜版を見ながら、わたしはホテルの自室で一人ニヤニヤしていた。
大きな紙面全面に、細かな字でびっしりと、花嫁求む、花婿求むの求人広告が出ているのである。その数約500件。まずは2、3ご紹介してみよう。
「パンジャビ・ブラーミン(カースト名=ヒンズー教の身分制度)の配偶者を求む(インドでは、お相手選びは、まずカーストのつり合いからはじまる)。当方、大学卒で色白の美人(色白は“上流”の大切な証しなのだ)。23歳。166センチ。処女(と書いてあった!)。資産家か高級官僚に限り、お返事待つ」
「当方、ハンサムな大学教師。アメリカ在住。カヤサ(カースト名)の家系。40歳。高給取り。インド国内に高い地位の親類多数あり。良家の教育のある美女を求む。カーストは問わず。結婚のため、12月×日から4週間帰国。条件と写真を下記へ送れ」(この人、書類選考でお相手を決めるつもりかしら?)
「25歳以下の、背の高い美人で大学卒の娘を求む。かなりの家柄であること。当方、パンジャビ・カトリ(カースト名)の家系。28歳。175センチ。官僚で月収1850ルピー。娘の持参金額が主要な問題である」(そんな、現金な。どうしてインドじゃ、主要な問題は、本人の人柄や愛情の有無じゃないんだろう。これで結婚してうまくいくのかなあ)
とかなんとか。アホなチャチャ入れながら、一行々々読んでいくと、この求人広告はなんと面白い読物であることか。一字一句に、なんとまあ見事に人間の欲望がにじみ出ていることか。
なぜインドの上流階級は、新聞広告まで出して、血眼で嫁さがし、婿さがしをするようになったのか。
インドでは、いまでも結婚は、家と家、親と親とが取り行う事業、それも一財産の金が動く“大事業”なのである。結婚がホレタ、ハレタとは無関係に行われる“事業”である以上、少しでも条件のよい人を募るために、新聞広告が使われるようになったのだ。
ここでは、若い男女の意思などというものは無視されている。田舎では見合いさえ抜きで、結婚式場でははじめて本人同士が顔を合わせるということも珍しくない。ベナレスの町でわたしが招かれた結婚式でも、本人同士は初対面であった。おまけにわたしはギョッとしたのだが、花嫁は8歳、花婿13歳という幼児婚であった。
インドでは、子どもが生まれた瞬間から、親はその子の結婚の心配をはじめるという。男の子ならいい。が、もし生まれた子が女の子だったら、嫁にやるとき巨額の持参金を工面しなければならないからだ。持参金の相場は、女の子一人につき父親の年収から年収の3倍程度というから、まさに巨額である。
それでも女の子に兄さんがいれば、親は救われる。まず兄さんに嫁をとり、その嫁からきた持参金をそっくり妹にまわせるからである。が、もし兄さんがいなかったら、そしてとても貧乏な家だったら、親も子も悲劇的である。
農村地域では、持参金がつくれそうもないという理由で、生まれてきた女の子の間引きがまだ行われているという。
インド政府は1961年、持参金を禁止する法律をつくった。が、巷では、法はあってなきようなもの。昔からの習慣の方が固く守られているのだ。
さらにまた、インドの結婚をこの上なく難しくしているものに、カーストがある。ことカーストに関しては、貧しい人々よりも、上流階級の方がいっそう掟(おきて)に厳しく、苦労している。
とくに最大の被害者は、最上位カースト、ブラーミンの娘さんたちだ。ヒンズー教の掟によれば、「女は自分よりも下位カーストの男と結婚してはならない」からだ。ブラーミン娘にとって、対象はブラーミン男だけ。ところが、その男の方は、掟により、「下位カーストの女とも結婚できる」のだから困る。
新聞広告を出す人にブラーミン娘が多いのは、「カーストさえ合えば、誰でも」という捨身の心境からだそうだ。
「ヒンズー教のカーストなんか、若い人は無視しちゃえばいいのに。あなただって、自分の結婚相手ぐらい自分で見つけたいでしょ」
わたしは、アグラからデリーへ向かう飛行機の中で隣り合わせたラーマン君という感じのいい青年に聞いてみた。彼はニューデリーのIBMに勤めるシステム・エンジニアだと自己紹介してくれた。そして、
「カーストを無視したら、インドじゃ生きていけませんよ。万一、僕がカーストを無視して恋愛結婚なんかしたら、親兄弟とももう付き合えなくなるし、完全に孤立してしまいます。僕は親が決めてくれた人と結婚しますよ」
「あなたも、結婚式ではじめて自分のお嫁さんの顔を見るつもり?」
「いえ、まさか。いまじゃ、式の前に二、三度は会えるんです。それに、母や姉が、僕の好みを知って選んでくれますから。僕には妹が2人もいるんですよ。自分勝手なことはできませんよ」
彼はちょっと言葉を切ってから、問いかけてきた。
「あなたはこんなインドを、古くて嫌な国だと思いますか」
「そんなことないわ。でも……」
あなたはそれでほんとに幸せな家庭をつくれると思うの、とわたしはいいたかった。が、日本だってついこの間まで、親の決めた見合結婚でけっこうやってたわけだ。だったら、ブルー・ジーンズをぴっちりと着こなした、いい若者のラーマン君に、これ以上何かいうのは、おせっかいのように思われた。
ニューデリーのやり手弁護士、シャンティ・グプタ夫人は、こんなインドでたてつづけに4人の女の子を産んでしまった。5人目がようやく男の子で、これで跡取りができたと喜んだのはいいが、困ったのは上の4人の持参金。高級官僚である夫の年収の4〜12倍の金額は、それこそ天文学的数字。
そこで頭のいい彼女は、4人の娘にハッパをかけて勉強させ、上から順に医者、大蔵官僚、大学教師、税務官僚に仕立て上げた。これらの職業は、インドではもっとも高給取りに属するので、そんな娘なら、と持参金なしでも嫁のもらい手があった。彼女たちはもちろん結婚後も職業をつづけ、婚家のために稼いでいるので、いわば持参金の分割払い方式である。
が、グプタ夫人のようなやり方は、ごくごくまれなケース。驚いたことに、当のグプタ夫人でさえ、しゃあしゃあと、
「息子の嫁からは、もちろん持参金をもらいましたよ」というのである。その上、
「グプタ家をスモール・ファミリーにしたくないので、息子の嫁には子どもをたくさん産んで子育てに専念する女を選びました。わたしや家の娘たちのような仕事を持つ女ではなくてね」
とにかく、インドで結婚にまつわる話を聞いていると、本人の意思というものは、どこにも出てこない。親の権限がメッタヤタラに強いのだ。それにしても、若者たちに恋心がないはずはない。インドの若者たちはみな、もの悲しい思いで結婚式におもむくのだろうか。
こんなことを考えながら、例の嫁さがし、婿さがしの新聞広告をながめていると、一行々々が、がんじがらめの束縛のなかで、必死に幸せを求めて生きる人々の切ない訴えのように見えてきた。
「大学卒の美女を求む。当方、ビサ・アガーワル(カースト名)。26歳の青年。官僚。月収1000ルピー。娘の持参金額だけが問題である」
この人は、きっとこれから嫁にやらねばならぬ妹が3人か5人もいるんだろう。だから、何が何でもお金が欲しいんだわ。
そして離婚、再婚はご法度だったインドにも、こんな広告が出るようになった。
「30歳ぐらいで、知的で、適応性のある配偶者を求む。当方、42歳の男やもめ。子ども少なし(息子1人、娘2人)高級官僚」
「中流の上の配偶者を求む。当方アガーワル(カースト名)のスマートで美しい25歳の後家。2歳半の息子と生後4ヵ月の娘あり。30歳までの男やもめの方でもよい」
※ガンガはガンジス川のこと
1977年11月「サンデー毎日」掲載
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