#15 あとがき
1977年。インドのカジュラホ村という所で、真っ赤な夕陽がゆらゆらと沈みゆくのを、私はみていた。畑の真中。大地も赤く赤く染まり、私は、ふと、大地に寝ころんだ。土は暖かく、私は今、この星に抱かれているんだなと思った。地球星。私はこの星を抱きしめたいほど大好きだ。空も海も大地も樹々も、なんと豊かな表情を持っていることだろう。人間も動物も地球星を唯一の楽園として、息づいているのだ。戦争や貧困や病気や死に襲われようとも、人も動物も、この星を根城に生き続けるしかないし、愛情を持って接すれば、この星の大地は無限の豊穣さで、生き物を育んでくれるのだ。
私の地球星の旅は、1968年、27歳の時に始まった。今、77歳だから、もう50年間も、まあるい星のあちこちを歩き回ったことになる。1968年は、まだ戦後を引きずっていた時代。$1=360円。おまけに、海外旅行に持ち出せる外貨は、たったの$500。旅の第1歩はメキシコ、キューバ、サンフランシスコだった。1959年のフィデロ カストロの革命から、わずか9年目のキューバは、物はなにもないけど、人々は、実に生き生きとしていた。
老いも若きも目を輝かせ、黒も白も茶色も黄色もゴッチャになって、楽しそうに暮らしていた。アメリカの黒人の暗さを見ると、被差別意識のない溌剌とした黒人の姿は、こんなにも美しいものかと、感動した。ハバナのホテルに泊まっていると、日暮れどき、港の方から、ドンドコドンドコと太鼓の音が響き渡る。街行く人々は、腰をくねらせ、腕を振り上げ、踊りながら、ドンドコドンドコめざして坂を下って行く。なんて楽しげな人々なんだ!日本しか知らなかった私は、陽気で楽観的な国民性に驚嘆した。物は本当に何もなくて、私が水着を欲しがったら、友人になった女の子が、小さな端切れで作ってくれた。ホテルに歯磨きや石けんすらなかったので、若い私は、化学で習ったやり方で、作ってあげたいと思ったほどだ。でも、人々は、“クーバ ケリンダ エス クーバ(“キューバ、美しいキューバ!”)と歌い踊りまくるのだ。ハバナの広場では、カストロさんが(彼も若かった)声を張り上げ、“自由か 死か”と人々に迫っていた。
この旅を皮切りに、私は、面白そう、と思う所には、どんな困難にもめげず、たどり着き、地球星の表情を見て回った。
インドには5回も行ったし、シルクロードも旅した。最近のめり込んでいるのは、アフリカだ。2007年から2016年まで10回もアフリカ各地を旅した。アフリカのメチャ明るい大地。豊かな大自然とそこに生きるゆったりとした、暖かい心を持った人々。彼らは皆、独特の古くて、モダンなアフリカンアートのセンスを身につけている。ピカソもアフリカンアートに影響を受けたという、超自由な発想。生き生きとした色使い。刺繍もビーズも、村人たちの手作り品でありながら、どこかモダンなアートのにおいがする。私は、はじめてアフリカに行った年に、その斬新さに感動し、我が家の寝室をすっかりアフリカ風に模様替えした。
「星の王子さま」を書いたサン=テグジュペリを、皆さんご存知だと思う。テグジュペリは、初期のヒコーキ野郎だったから、パイロットが操縦席に、後ろにエンジニアが一人という小さな複葉機で、フランスから北アフリカを経て南米最南端パタゴニアまで、郵便を運んで、命がけで飛び続けた。彼は、これまで道を歩いていた人間の目線と違う、空から大地を眺めるという目線で、地球と人間を観察した。砂漠の上を飛び、野中の一軒家の上を飛び、街の灯りの上を飛んだ。その彼の見た地球の大地には国境線はなかったし、荒々しい大自然の中にひっそりと息づく人間の営みを感じとるだけだった。彼は、地球を球だと意識して飛び続け、人間は星の上に住んでいる生き物なのだと感じたのだろう。だから、彼は「星の王子さま」と対等な自分を描けたようなに思う。
地球って、宇宙空間にぽつりと浮かんでいる星なんですよね!70億の人々、あなたも私も、みんなみんな、けっきょく、星の王子さまなんですね!ここは、ちょっと混んでいる星ですけどね。
2018年夏。地球を覆う異常気象のせいで東京も連日35℃、36℃。カリフォルニアもスペインもスウェーデンまで、山火事の炎が燃え続けている。日本でも記録的短時間大雨とやらが立て続けに降って、各地で深刻な洪水の被害を出している。
政治、経済的に見ても、建前としての民主主義さえ否定され、独裁的な指導者たちが、強権で世界を牛耳り、貧富の格差は広がるばかり。
世はまさに夜の嵐の真っ只中。
私はもし「光の歌」を知らず、ただこの暗闇に生きているとしたら、深い深い絶望に追い込まれてしまうだろうと思う。
はじめは半信半疑だった「光の歌」も、この30年の世の中の動きを見ていると、すごく納得でき、今は、早く「朝」が来ればいいのに! と思うばかりだ。美しい「朝」! 何よりも人々の心が明るく、穏やかに輝く「朝」が、本当に待たれている。
0コメント