子どもたちは見ている
わたしは、勇気がなくて教師になれなかった。教師というものは、いつも見られている感じがして、それがたまらなくこわかった。子どもの目がじっとこちらを見ている。算数や理科や体操を教えているつもりでも、子どもたちは、九九や、電気回路のはなしや、サッカーのルールを聞きながら、いつも、はなし手である教師を見つめているのだ。子どもたちが見ているのは、この先生は、出張旅費をごまかして、息子に機関車を買ってやったとか、弟が起こした交通事故の後始末のために、せっかくためた預金をみんなはたいてしまって、先生はいまご機嫌が悪いとか、そんなコマコマ、ゴチャゴチャした教師の日常生活のいちいちではない。そんなことは知らなくても、子どもたちは、直感的に、教師の人生にたいする態度みたいなものを見ぬいてしまう。硫酸の化学方程式を教わりながら、子どもたちは、その先生が恋をしたら、どんなふうに恋人を愛するかを見てしまう。正義感が強いかどうか、ゴマすり人間かどうか、最後まで生徒をかばってくれる先生かどうか、やさしい方か、いじわるな方か、万事子どもは見ぬいてしまう。教師というのは、だから子どもたちから見たら、裸の王様みたいなものではないかなと思う。たてまえやらなにやらで、こちらはいろいろ着こんでいるつもりでも、子どもたちの目に写る教師は、いつも裸で、猫背の背中や、まあるく突きだしたお腹を見せて歩いているカッコ悪い王様にすぎない。
小学校6年のときの担任は、30才くらいの女の先生だった。男まさりのという古めかしい形容詞がぴったりの、いかにもしっかりした先生で、教え方がうまいのと、学校一こわいので有名な先生だった。あるとき社会科の時間に養老院のはなしになった。このとき、ふと彼女がもらしたひとことが忘れられない。「養老院はなかなかいいところで、わたしみたいに、ひとりっきりの人は養老院にいきますけれど、あなたたちは絶対こんなふうになってはいけませんよ。」小学校6年の女の子を、50人前にして、彼女はふだんと変わらない、毅然とした口調でこういったのだけど、わたしはこの日以来、ああ、この先生は死ぬほど淋しいのだなあ、かわいそうだなあと思いつづけた。
この先生には、もうひとつ思い出がある。どういうわけか、たった一度だけ、いまふうにいえば性教育らしき授業があった。ようするに、女には生理がある、と教えてくれただけなのだが、このときの先生の緊張ぶりには見るに見かねるものがあって、こちらの方がなんともやりきれない思いをした。「先生は生理が嫌で嫌で、なんど死にたいと思ったかしれません。」などといわれては、子ども心に恐怖心を植えつけられるだけで、まったく百害無益なことであった。その後、本物の生理がやってきて、ははんこんなものかと安心するまで、妙にうわずった先生の声が耳に残って消えなかった。考えてみれば、子どもに性のはなしをしたりするときに、教師の人間としてのでっかさみたいなものが、自然とでてしまうものらしい。
子どもというのは生意気なものである。上司の頭をコツンとなぐって、サラリーマンを首になったという若い男の先生がはいってきたとき、わたしたちは大いに歓迎した。卑屈なゴマスリ人間ばかり見慣れていたわたしたちには、彼の行動はいかにも小気味よく、カッコイイものに思われた。それにもまして、この先生を人気者にしたのは、中学1年生の前で、彼は構わずそんな自分をさらけだしてしまう人だったからである。子どもの心を動かしたいと思ったら、正面から本音ではなしかけることだ。子どもは、必ずそこに気づいて、答えてくるものだ。「そこで俺はカーッときて、ここんところをコツンとやっちゃったんだ、アッハッハ」なんて楽しそうにはなしながら、この先生はまるで、わたしたちに、自分のとった行動を正当化してもらいたがっているようだった。「俺はサラリーマン落第生なんだな。負け犬なんだな。」そんな思いをけんめいにふりきって、子どもたちにとけこんでいい教師になろうとしているかのようだった。理科の先生だった。放課後、遅くまで、実験室でカエルの解剖の仕方を習ったことがなつかしい。彼はしかし、きっかり3年で学校をやめて、企業に就職していった。わたしたちと別れるのはつらそうだったけれど、やっぱり自分はサラリーマンとしてやってみたいといっていた。彼が再びサラリーマンになってからも、わたしたちはときどき押しかけて、トンカツをおごってもらったりしては、はなしをきいた。いい先生だった。
もうひとり、中学時代に、味のある先生がいた。彼には、とてつもなくひどいあだ名がついていて、それは「黒ミイラ」だった。いくらなんでもミイラとまで呼ばなくてもよさそうなものに、彼の場合は、ごていねいに上に黒までつけて呼ばれていた。この先生、色が黒くって、なんとなく水気のない、のっぺりとした顔をしていて、その乾びた感じが、まあ、ミイラといえばいえないこともなくって、悪いですねえ、10数年も経っているのに、まだこんなことをいっていて。どこか味わいのある先生だった。疲れた中年男のもつ、ひょうひょうとした味とでもいおうか。中学生があんまり知らない世界を、この先生はいかにも知っているという感じで俺は、もうくたびれたという顔をしていて、それが魅力だった。だが子どもというものは残酷なものである。この先生の、体の芯にある気弱さみたいなものを、敏感に感じとっていて、いじめれば痛むとわかっているくせに、全員一致で、大変ないじわるをした。ある午後のことだった。ぜんぜん理由もないのに、ふいにこの先生の社会科の授業をボイコットして、みんな連れだって散歩にでかけてしまったのだ。生徒がいってしまった教室で、彼は「授業を受けたいものは、教員室にわたしを迎えにきなさい」とひとこといったというが、まったく悪いことをしたものだ。1時間の授業時間の終わるころ、当番のものが先生のところにいったら、彼は泣いていたという。子どもは無邪気な顔をして、ずいぶんと残酷なことをするものだ。
いい子というのが、どこのクラスにもいる。みんなが、その子を模範にしたらいいというわけで、模範生とも呼ばれている。しかし、この種のいい子をたくさん作り上げて喜んでいる教師がいたら、これはどうかなと思う。子どもの方が、案外したたかものであるような気がする。どうすればいい子になれるかなんてことはみんな知っている。それなのに、たいていの子は悪い子のままで、のさばっている。というのは、いい子になるってことは、結局、自分と先生と両方を欺くことになるのだと、はじめっからわかっているからである。わたしもときどき、いい子になった。「なんとかさんの意見は間違っています。わたしはこう思います。」なんていうのだが、ほんとうはわたしはこうなんて思っているわけではぜんぜんなくて、そういえば先生は満足し、はやくお昼休みになるとわかっているから、そうするのだ。案外教師はこれに弱い。「そうですね。××さんのいう通りですね。ではこれから、みなさん××さんのように、△△を守ってください。」とくる。子どもたちにとって、こんなふうに教師を騙すことは、お茶の子さいさいだ。教師だって、結構お腹がすいていて、もうこのへんで議論を切り上げたいと思って、騙されたふりをしているのかもしれない。でももし、3日も食べていないというのでなければ、子どもたちの本音を見ぬいてほしいと思う。いい子はこんなことで味をしめては、ゴマスリ型人間へと成長していくのだ。本音なんていったって、どうせ通りっこないのだから、ウソでも先生に誉められた方がましだと思い、うまく誉められれば、次のウソを考える要領のいい子になっていく。そうなった方が、世の中生きていくのに都合のいい人間になる、と教師の方が考えるのなら、それはもうどうしようもないことだ。それも教育であろう。教育というものは、たんに前の世代の人間が、次の世代の人間に、生き方の手ほどきをするに過ぎないのだから。女の子に花嫁修業をさせるのも、ひとり立ちするために仕事を教えるのも教育だ。それはどっちがいいというものではない。しかしそれは常に、どちらをとるか選ばなければならないことなのだ。ウソをついてはいけないと教えることも、ゴマのすり方を教えることも教育だ。自分で物を考えた方がよいと教えることも、強そうな人の考えには、たてつかない方が身の危険がなくて安全と教えることも、それはそれで教育である。だからこそ教師は、何を教えるかを選ぶという難しいことをしなければならないのだ。子どもたちは、迷いつづけ、選びつづけている教師を、じっと見ている。
1972年「教育評論」掲載
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