#6 夜の歌4

Song of Night, book4 中東の砂漠は戦火に包まれる

静かな海に船が浮かんでいます

水はインクのような濃い青です

アラビア海と地球の人々はいっています

ここでは昔からいろんな戦いがくりひろげられてきました

人々は砂漠に住み、らくだを使い

砂嵐の砂漠を越えて旅をつづけてきました

砂の上には風紋が描かれ

無数の風紋が果てしなく遠くまでつづいています

砂は美しい造形を描いていますが、水のない乾ききった存在です

だから、ここに住む人々は

らくだとともに膝まで砂に埋もれて歩き、旅をつづけ

緑を求め、食料を求めてすすんでいきます

昔からそうしてきましたし、いまも、そうしているのです

砂漠のなかにはオアシスがありますが

それはあまりにも小さくて

住む人々に充分な水や緑を供給することはできません

オアシスには椰子や樹々が繁り

空気も潤いを帯びて柔らかく

人々の心もオアシスに来ればほぐれるのです

水を浴び、体の汚れを落とし

人もラクダも水をたっぷり飲んで、体も心も甦るのです

けれども、

人々もラクダもずっとそこに留まっているわけにはいかないのです

オアシスはあまりに少なくて、人々はあまりにたくさんいます

かれらはまた旅をつづけていかねばなりません

砂漠の砂が乾ききっているように

かれらも一年のうちの大半は乾ききった空気のなかで

体も心も乾ききって暮らさざるをえないのです

20世紀になって、砂漠には多くの油田が発見されました

油は水よりも多いほどに砂漠の地に湧き出していますけれど

人間は油を飲むことはできません

油によって緑の植物が育つこともありません

油は工業には大切なものですけど

砂漠の人々をその場で癒す役には立ちにくいのです

数少ない人が油の利権を持って

外国から多くのお金を得ても

それはそこに住む人々全体を潤すことにはならないのです

人々にはむしろ雨やオアシスの方が必要なのです

砂漠の人々はコーランを与えられ

白や黒のヴェールをかぶって宗教的な生活を送ってきましたが

長い間つづいてきた宗教的生活さえも

かれらの乾ききった心を癒すことはできません

その昔、キリストが洗礼を受けたヨルダン川は

いまでは戦場となり

血なまぐさい戦いがくりひろげられています

兵士たちは血を流し

爆弾によって体はちぎれ

足はふっ飛び、手はもぎれ、首さえも飛んでいってしまいます

川原には地雷が仕掛けられているからです

川原は血で染まっています

ときには子どもたちまで死んでいきます

ヨルダン川はいまでも青く澄んでいますが

まわりに住む人々の心は恐ろしいほど荒れています

春になれば、ガラリヤ湖畔には

白いマーガレットや黄色い花々が咲き乱れますが

ここは今もキリストの時代と同じように

二つのいがみあう政治権力の戦いの場となっています

イスラエルのユダヤ教徒はアラブの人々を憎み

アラブ人もまたユダヤ人を敵としていがみ合っています

彼らは、ただアラブ人である、ユダヤ人であるというだけで

殺し合いたいほどの憎しみを互いに持っているのです

人間がどうしてこれほどまでに恐ろしい憎しみの虜になれるのか

わからないと思うほどです

殺しあうことによって幸せが訪れることはないと

どちらも知っているのですけれど

綿々と続いてきた憎しみと殺し合いは

もう止めることができないほど悪い状態になっています

スーダンでも飢えた人々は生命を捨てていますし

その周りにいるゲリラたちは戦いを準備し

また、飢えた人々も怒りによって戦いに参加しようとしています

アメリカはこうしたアラブの人々の状態を知っています

飢えが彼らを苦しめたり、戦争や石油によって得た利益を

一部の人が独り占めしている状態が

砂漠の多くの人々を苦しめていることを充分知りながら

アメリカは砂漠の人々の苦しみを

政治的な方法で利用しようとしているのです

死んでいった人々は

霊界で、本当の潤いを得ることができるでしょう

死後に行く地獄というような所はありません

それは形の上での地獄ではなくて

一人一人の心の汚れとその重さによる苦しみの状態を

地獄と呼んでいるだけです

霊界はどこも太陽が照らし

樹々は輝きに満ちた緑の梢を光らせ

川はさらさらと流れ

花咲き乱れ

どのような人もこの光景によって浄化されていくような

すばらしい明るさに満ちたところなのです

けれども

あまりにも重く暗い汚れを背負った人には

美しい霊界の姿さえも

毒蛇や毒蜘蛛がいる血の海のような地獄の光景にみえるだけです

それは死んだ人自らの心の眼でそのように見るだけで

地獄の実体があるわけではありません

その意味では

死とか裁きとかを恐れる必要はありません

けれども、一人一人の人間が自分の心を浄化しなければ

死んだ後、そのような美しい霊界に至りついても

そこを血の海や毒蛇のいる恐ろしい地獄だと感じてしまうのです

では、心を浄化するにはどうしたらいいのでしょうか

心を浄化するには本当の愛を早く知ることです

人を愛しなさいと、とただ言っても

愛を知らない人には人を愛することはできないのです

ほんとうの愛は誰の心の奥にもある泉のようなものです

自分の心の中にすばらしい愛の泉があるのに

多くの人はそれに気づかないで

それにかたい蓋をして

幾重にも壁をめぐらし

どこか外で愛を探し回っているのです

だから、その自分の心の厚い壁をはがして

赤ん坊のように無心になって

素直になりきって

誰の心の奥底にもあるほんとうの愛を見つけるほかないのです

自分の心の奥底にほんとうの愛を見つけた人は

すべての人にその愛の波動を伝えることができます

愛を見つけたとき

人ははじめて、いのちの喜びに酔うことができます

人間はほんとうは光そのものなのです

人間も地球星も光そのもの

太陽も月も満天の星々もみな光そのものです

人が生き

星が生きているこの宇宙は

ほんとうは光の乱舞にすぎないのです

光の乱舞が宇宙なのです

たとえ砂漠に戦争が起きようとも

その戦いさえも光の乱舞なのです

このことは

人間としてのあなたがたには納得のいくことではないでしょう

もちろん、人間としては、戦争を避けようとし、

殺し合いをさけようとするでしょう

それは当然のことです

けれども、何が起こっても

それは大宇宙の光の乱舞ということもできるのです

人は小さな自我から限りなく解放されて

光へと帰するために生まれ、生きています

光になりきって

この地球の上でいのちの歌を歌い続ければいいのです

すべて形あるものは、形なき光となるために生まれてきているのです

形なき光

その形なき光に帰するために

いのちは生きつづけているのです

六十億すべての人々が死に絶えたとしても

宇宙は生命の躍動をつづけて

悠々とした光の乱舞をつづけているのです

人間の苦しみは愛によって洗い流され

地球星は再生するのです

地球星の上は濃い緑の森林に覆われ

海はまた青さをとりもどし

小さな生きものたちは砂漠を走りまわり

樹々の間を飛びまわる朝がやってくるのです

夜の後に朝がかならずやってきます

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