#5 夜の歌3

Song of Night, book3 生きている星・地球は温暖化、ウイルスにも苦しむ

暗闇の荒野に一筋の光がさしています

その光ははるか遠くからさしてくるように感じられるでしょう

闇はあくまでも暗く

光の筋はほんとうに頼りない細い一筋の道にしか見えないでしょう

けれども、どんな闇夜でもいずれは明けて、光り輝く朝がくるのです

闇夜には星がまたたいています

その星の光は地上の人々の心を暖めるにはあまりにも力が弱いでしょう

しかし、やがて月が出て地上にさわやかな光を送ります

その光に暖められて

いつか地上には夜明けの太陽が照らすときが訪れるのです

夜の間に人間はさまざまなことを経験するでしょう

シベリアには緑豊かな森林が生まれるでしょう

アマゾンやインドネシアやアフリカのジャングルでは

ある日突然のように水が干上がり、雨が降らなくなり

木々は熱い太陽に焼かれて

森林は一気に砂漠に変わってしまうかもしれません

それは人々が予想だにしなかった突然の変化として現れることでしょう

森林で暮らしていた人々は食べ物を失い

水を失い

暑さのために死んでいくかもしれません

突然の砂漠化に備えることはむずかしいでしょう

一方では

シベリアの氷河は溶けて、豊かな森林が形づくられるでしょう

中国では揚子江の北にも運河がつくられ

いままで荒れ果てていた地帯が

緑豊かな田園に生まれ変わることでしょう

南ヨーロッパではやはり砂漠化に近いような影響が現れて

いままである程度の雨量があってブドウなどを作っていた地帯は

食物を栽培できなくなり荒れ果てていくことでしょう

地中海沿岸の地方

ポルトガルやスペイン、クレタ島など、地中海の島々も、ギリシャも

そのような傾向に苦しむことでしょう

ブルガリアやルーマニアもそうなるかもしれません

北ヨーロッパでは気候が暖かくなり

人々の暮らしは少し明るくなるでしょう

グリーンランドの氷は溶けはじめて

多少の緑が育つようになるかもしれません

アラスカでも氷が溶けて緑が育ちはじめることでしょう

けれども、カナダ南部の森林やアメリカ合衆国では

気候の変化によって

いままでは森林だった所が急に砂漠や草原に変わったりするかもしれません

アメリカは

いままで豊かだった国土が作物の栽培に適さなくなったりして

その点でも苦しむことになるでしょう

肥料の使い過ぎなどによる表土流失みたいなことも起こるし

作物の不作に悩まされることでしょう

地球は温暖化の傾向をたどって

そのために世界的に気候の変化による混乱にまきこまれることになります

日本では北海道が暖かくなり

南の島々は暑すぎるようになるでしょう

といっても、完全な砂漠になったりすることはないでしょう

日本では、東北地方や北海道が

水田に適するような気候になるかもしれません

南では、少し乾燥に強いさつま芋とか南京豆とか

そういうものが作られるようになるでしょう

けれども、日本人にとって

このような気候の変化で生活が破壊されるようなことにはならないで

なんとか順応していけるようになるでしょう

東京も現在よりは乾燥した気候になるかもしれません

富士山の雪でさえ前よりは早く溶けて

夏には上まで溶けてしまうでしょう

地球上に起こる変化は気温の変化だけにはとどまりません

火山の活動が活発になり、あちこちで噴火や地震が起こるでしょう

地震が相次ぐときに

地球上に住む人々は、大地が揺れて止(とど)まることを知らない

というような不安に襲われるかもしれません

ある所ではそれはパニックのようになるかもしれません

環太平洋の地震国以外の人々も

イタリアでの火山の噴火とか

アフリカでもそのようなことが起こったりして

やっぱり地球の大地というものがただ安定した地殻の塊ではない

ということを思い知らされるでしょう

大地の下で地球は生きていて

マグマがドロドロと渦巻き

ときには火山の噴火口から噴き出し

天高く蒸気をあげ

鉄の塊を吐き出し

ものすごい熱と溶岩を噴き出して

あたりを溶かしていくのを目のあたりにするでしょう

原初、地球が生まれた頃の姿を

ときに人々はその光景から感じることでしょう

空は赤く赤く燃え

溶岩はゴウゴウと噴き出して

蒸気も熱もすごいエネルギーを空にむかって噴射します

キリマンジャロなど、アフリカでも噴火が起きるでしょう

それはまるで

星としての地球の誕生の頃を見るような気持ちを人々に起こさせるでしょう

なぜなら、テレビや映画を通じて

全世界の人々はその地球のダイナミックな姿を見ることになるからです

人間は地球星の上で暮らしながらも

大地を動かぬものとして思い込んで

その上に文明を形成してきました

けれども、今

その大地が揺らぐという姿を人間は見ることになるのです

たとえ地震や噴火に巻き込まれない地域に住んでいる人々も

その姿をテレビなどで見て恐れおののくことでしょう

それは

現代人を原始人のような心境に立ち返らせるきっかけとなるでしょう

人間のいのちの基盤は

一見堅いと思われている地殻の上に成り立ってきたわけですけれども

それ自体がゆらぐときに

人間の生命とは何だろうかと人々は考えざるをえなくなるからです

赤い溶岩を噴き出す地球の上に住んでいる生きものにすぎないと

人間は自分たちをもう一度自覚するでしょう

噴火や地震は

地球自身が、生きている星だ、ということを示しているにすぎません

その生きている星の上に

人間という生きている生命が暮らしているのだということを

そのことから読みとればいいのです

自分たちだけが生きものなのではなく

地球も生きているし

また、数限りない生物が生きています

すべてが共存して

地球星とそれらの生きものとの調和が成り立っているのです

そのことをあまり考えずに、人間は19世紀以降

科学文明を地表に作り出してきました

大きなコンクリートのビルが建ち並び

いろいろな工場がそびえ立ち

ものすごい能率で機械や物がたくさん作られています

それらはほんとうに便利で

人間生活をある意味では豊かにしています

ただ人間だけが宇宙の中で高等な知性をもった生きものだ

というわけでは決してないのです

宇宙全体はさまざまな生きものによって構成されていますし

それはすばらしい調和を全体として形づくっているのです

人間は

三次元に縛られた限りある知性をあまりにも確かなものだと過信して

その上に文明を築き

その上に生命観、宇宙観を組み立ててきましたけれども

それは

生きものとしての地球の生々しい姿に直面したときに

考え直さざるを得なくなるでしょう

しかし、それは別にこの世の終わりでもないし

地球の終わりでもないし

人間の生命の終わりでもないのです

ただ、すべてが生きている

その調和の中に地球も生きているし、人間も生きている

ということに気づきさえすればいいのです

それから、もう一つの試練は

人々の生活もいままでの秩序を維持できなくなって混乱しはじめ

さまざまな病気が流行(はや)るのを止められなくなっていくことです

それはいままで知らなかった新しい型の病気かもしれないし

また、経験ずみのさまざまな病気も

再び、蔓延していくことになるでしょう

森林が突然砂漠化したような地方では

水も涸れて、飲料水も不足し

不潔な水を飲むことによって人々は病に侵されることになるでしょう

病気はなぜ人々の間に広がっていくのでしょうか

それは、人々が

人間もまた生きものであり

ほんのちょっとした気候の変化やわずかな狂いによって

その体はたわいもなく蝕まれて直しにくい病気にかかり

死に至るということを

やはり知らなければならないからです

人間の生命というものを

医学で管理できると思っているかもしれませんが

それは人間が想定している条件が守られている限りのことにすぎないのです

人間は、科学と呼んできた知恵によって

20世紀の文明を築き

それによってある意味では快適に暮らしていますが

それはほんとうに稀有な

ある種の調和が保たれている限りにおいて存続しているに過ぎません

どこかで気候なりなんなりが崩れたとき

人間の知恵などというものはいかに限りがあり

そのことに対応できないものであるかがわかります

また

人間の肉体も非常に儚(はかな)いものだということも

やっぱり、人間はもう一度知らなければなりません

抗生物質とかさまざまな薬を開発したから

もう細菌に侵されることはないだろうと

思っているかもしれませんが

人間の体というものは人智で管理できるようなものではないのです

それは宇宙的ないのちの営みの中で美しく成長し

立派な力を肉体に表現することができる日もあるし

宇宙的な調和の中で逆に細菌に侵されて死んでいくということも起こるのです

人間は自分たちの生命を

自分たちの手で延ばしたり、変えたり

管理できると思っているかもしれませんが

そうではないのです

人間は、たとえば気温にしても

摂氏40度とか45度になれば生きていくのさえむずかしいのです

わずか5度、10度気温が上がっただけで

生きていくことさえ難しい生きものの体のなかに閉じ込められているのに

すべてのことが自由になると、いま、錯覚しているふしがあります

それだから、原始時代の生きものが体験したような

地球の火山爆発や地震といった荒々しい姿を目のあたりにすることによって

人間は自分の生きものとしての限界や

その生命が全体の調和のなかで生かされている生命だということを

もう一度知らなければならないのです

そのことを人間は大変辛いと感じるでしょう

けれども、たとえ辛いことであっても

この体験しか、人間に

自らが宇宙のなかの生きものであり

その宇宙の生命に連動して生きているのだと

気づかせることはできないのです

地球がゆらぐとき

人間はほんとうにわが身の小ささを知ることになるでしょう

そしてまた、今まで管理できたと思っていたウィルスや細菌によってさえも

再び悩まされることになるのです

生きている体は

細菌というまた別の生きものによって侵されることもあるのです

人間だけがそういうことを免れて

快適に暮らし続けられると思うのは間違っているのです

どうしてこのように苦しい夜が用意されているのでしょうか

それははじめに言ったように

遠くに見える光を求めて

人類がひたすらその光の方向に向かっていくためなのです

細い一筋の光の道は

暗闇の向こうにむかっていく人々の生命の希望なのです

光の糸にひっぱられてどんどん前に進んでいくほどに

おのずから光は強く明るくなって

ますますはっきりとどの道を行けばいいのかがわかり

確かな前進をすることができるようになるのです

死ということがこの時代を生きる人々にとって大きなテーマにとなるでしょう

死はいったい何なのか

地上に数々の屍(しかばね)がさらされ

愛するものや身近な人を失う人がたくさんでてくるでしょう

そのとき

生きていることと死んでいることの違い

生と死の意味を人々は必死で問いかけることでしょう

地球上の生きている人々からみれば

死は永遠の別れだし

肉体は腐って土に還っていきます

けれども、死んだ人々からみれば

死というものは別にないのです

地球上で死んだ人々は霊界に還って

その続きのいのちを生きなくてはなりません

それは地上のいのちと同じものではないし

記憶も失われたり出会う人々も変わったりします

けれど、光への道を求めつづけて生きなければならないという

その道筋においては

ただ地上で生きてきたことの続きをやっているにすぎないのです

人間はみな光の方向へと向かってゆくために生命を与えられているし

霊界に生きるわたしたちも同じ意味で生命を与えられているのです

宇宙のすべてのいのちは

一点の光

それは太陽ではなくて

ほんとうの光源

光そのものに向かっています

人間は光そのものになり

光そのものに帰するために

地上や霊界で形ある生命を与えられているのです

太陽もいずれは星としての死を迎え

エネルギーそのものとなって光へと還っていくのです

夜明けを迎える前に

人間はこのような苦しい時代を体験するかもしれません

ただ、その苦しみは無意味にあるのではなくて

あらゆる生命あるもの

人間も他の生きものも

すべてが光に向かって前進し

いずれエネルギーそのものとなって光に還っていく道を進むためなのです

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