#4 夜の歌2

Song of Night, book2 経済崩壊・失業者が巷(ちまた)に溢れる

夜の嵐は地上に吹き荒れ、人の心を乾かしてしまいます

そのとき、地上の人々は仕事を失い、収入を失うでしょう

巷(ちまた)では食べるものを買うお金のなくなった人々のなかで

ある者は食物を略奪したり、盗んだりするでしょう

なぜなら人は食べなければ生きていけないからです

そして、食べ物を買うためのお金は仕事がなければ得られません

お金と食べ物を交換することが正当となっているこの社会では

ついには、生きのびるために

泥棒や略奪や詐欺やあらゆる犯罪が横行することにもなるでしょう

でも、誰もこの人たちに

略奪や泥棒をしないで飢え死にしなさい、ということはできません

もちろん権力はそれを防ぐため軍隊などを使って弾圧するでしょう

けれども、その軍隊をもってしても

生きようとする人々のエネルギーを止めることはできないし

この地上に生まれたすべての人々が生きようと願うことを

止めることはできることではありません

多くの、今は普通の収入を得て

いわゆる善良な市民の暮らしをしている人々が

仕事を失ったというたった一つの理由のために、暴徒となって

食べ物を略奪し、社会は混乱することになるでしょう

さまざまな混乱のなかで

失業した人々やその家族や子供たちによる略奪のために

社会経済の混乱は果てしなく地球上に広がり

地上のいままでの貨幣経済を大きくゆるがすことになるでしょう

大企業も、現在の貨幣経済の秩序

流通機構や貿易の秩序が保たれているかぎりにおいて

大きな利益をあげているわけですから

消費次元における巷の混乱は

そうした大企業の存立そのものを脅かすほどの

経済的大混乱を各国にもたらすでしょう

しかし、

せっかく生まれてきた人々に

食べ物があるのに、それを買うお金がないという理由で

飢え死にを強いることは人間にできることではありません

しかも、地上には人々を飢えさせないだけの食べ物があるのです

どこかの倉庫やいろいろな店舗の中に

だから、それを買うお金のない人々もまた

それを食べる権利はあるわけです

しかし、各国の権力機構は

このような暴徒や暴動を許すわけにはいかないと思って

やっきになって鎮圧しようとするでしょう

おなかをすかせたことのない人や飢えたことのない人には

飢えというものの苦痛は全くわかっていないのです

人も動物も

何日も食べ物がなくて飢えていくときに

いかなる社会的秩序の要求も法律も彼らを縛ることはできず

彼らは命がけで食べ物を奪いとって生きのびるしかないのです

それはこの地上で生をうけた生きものの当然の権利なのです

生きものはみな生きながらえようとするように生れてきています

それが生命と言うものの性質なのです

だから、死なないために

人々はあらゆるエネルギーを使って戦いをつづけるでしょう

いろいろな国々の都市の路上で人々は食物を奪いあい

一つの水道の蛇口から水を奪いあって、混乱がつづくことでしょう

寒さもおそってくるでしょう

雨露をしのげる場所を失った人々は路上で暮らすしかないし

栄養状態も悪くなると

寒さによって死ぬ人もでてくるでしょう

だから、寒さをしのぐ衣料品や毛布も

テントなどの布も略奪の対象になるでしょう

それは、天変地異や戦争によって

家を失ったりする人々がたくさんでるからです

東京やニューヨーク、ロンドン、パリのような大都市でも

路上で暮らす人々が数多くでるでしょう

それはいまの繁栄からみれば考えられないような光景でしょう

日本では敗戦後の焼け野原となった東京に比べれば

今度は焼け野原になるわけではないので

それよりはるかにいいということは言えるでしょう

けれども、帰る家を失った多くの人々が

路上で暮らすことを強いられることでしょう

ニューヨークでは、地下鉄の地下道や地下のシェルターを

奪いあうようなことも起きるかもしれません

世界中の人々は死というものを眼前に見て

人間が生きものであり

自分もやがて死ぬのだということを痛感することでしょう

その死を前にしたとき

この繁栄の時代にあって

あれも欲しい、これも欲しい、と思い

それを得ることによって満足できると思ってきたさまざまなものが

ほんとうは何の意味も価値もないものだということを

痛感することでしょう

電気製品とか車とか家とかピアノとか

そういういろんな国の人々がいま欲しいと思っている物は

死に直面した人間を全く救うことができません

自分がもはや死ぬのだというところから物事を考え感じとろうとしたときに

電気製品など何の役にも立たないものだと

人々は気づくことでしょう

宝石も金も

人々の欲望を刺激しつづけたあらゆる物が

ほとんど何の意味もないということを

人々は痛烈に知ることになるでしょう

どんなに大きなダイヤの指輪があっても

いま、食べる物がなければなんの意味もないのです

人々はお金の無力さというものも痛感するでしょう

どんなに銀行の預金口座にたくさんのお金を持っていても

今日の食べ物をどうしても得ることができず

それが3日も4日も1週間も10日も続くとすれば

やっぱり死ぬほかはないのですから

ここに至って、人々は

いままでお金や貴金属など貨幣価値のあるものを持っていれば

楽な暮らしができるし、幸せに生きられると思ってきた

そのお金や物への信仰を捨てざるをえなくなります

それよりは、どんな狭い庭にでも

トウモロコシやトマトなどの食べ物を作って食べたほうが

まだましだということを痛感することになるでしょう

戦場にならない国

飢えが蔓延しない国においてさえも

これまでの社会経済的秩序が崩壊することを免れないということです

社会主義国においても同じことが起きるでしょう

というのは、社会主義国でさえも

地球全体の経済秩序と無縁ではないから

同じような混乱にまきこまれるわけです

ソ連では強大な国家権力が維持されてきましたが

20世紀末に向かう戦争や天変地異や疫病や

地球上を襲う様々な混乱に乗じて

いわゆる自由を求める若者たちの動きによって

いままでの強大な国家権力にひびが入ることでしょう

表現の自由とか

さまざまなものを抑圧してきているわけですから

この国では、若い人々を中心に

人間はもっと自由に生きられるはずだという思想のもとに

叛乱が起こることでしょう

そのことはもちろん東欧諸国に及びますし

社会主義国の人々はもう一度

国家権力による抑圧をはねのけて自由に生きようとする戦いを始め

その強力な国家権力を突き崩していくことでしょう

夜の時代が終わるときには

社会主義国も自由主義国もその境は全くなくなってしまうことでしょう

というのは

どちらもこれまで保ってきた秩序が崩壊してしまうので

人々はこの地上のどこかで生まれ育ち

食べ物を食べ、衣服を着、家を作って生きていくという

人間としての営みがいとなまれているという点で

モスクワも、東京も、ロンドンも、インドも

地球上の隅々までみな同じになってしまうからです

つまり、さまざまな過去の歴史をそれぞれの都市は持っているにせよ

朝を迎えるときには

人々はただその地域に生まれ育ったというだけで

人間としての営みのありようは

ほとんど変わらないということになっているでしょう

ということは

あなたがたからみればほんとうに堅固にできているように思える

国家権力や経済機構が崩れていくわけですから

ものすごい激動の時代を体験することになるのです

いま地上に生きている人々の体験からすれば

これほどの激動を信ずることはできにくいことかもしれません

けれども、人類史においては

いろいろな激動をすでに体験してきていますし

宇宙では形づくられたものは壊され

壊されたものはまた新たに形づくられるという

いのちの営みは常に続けられていますし

そのなかにあっては

このくらいの変化はそう大きな変化とさえいえないのです

現代人は

自分の経験してきたことを非常に確かなものだと思って

その延長線上で十年後とか二十年後を考えているかもしれませんが

これからもそうなると決めこむわけにはいかないのです

激動というのは人間にとって苦しみの大きいことでしょう

反面、これだけの激動は人間の持ってきたさまざまな欲望や常識や

すべての思い込みをうちこわすために

たいへん効果的なのです

秋が来れば、冬が来るし

冬が来れば、春が来ます

作り上げたものは壊され

壊されたものは新たに生まれ変わって形作られていくということを

人々はもう一度痛感することでしょう

しかし

そうした破壊はすべての終わりを意味しているのではないのです

いのちの営みの変化の季節が来たにすぎないのですから

しかも

その変化はすばらしい朝へと向かっているのです

あなたがたはどんなときでも、この朝を信じてください

いわゆる夜の地球上の秩序の崩壊が非常に早く訪れるように

朝もあなたがたが思ってもみないような速さで訪れます

そして朝になったときには

ものすごいエネルギーが人々のなかに湧いてきて

人類はまた新しい建設の時代を始めることができるのです 

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