We, in Africa 2 マダガスカルの魅力

 マダガスカルは不思議な国である。


首都アンタナナリブの中心部で大きな河の橋を渡る。ふと下をのぞいてみると、川岸ではおばさん達が数十人も並んで洗濯をしている.干すのは、付近の水を張っていない田んぼの上に直に服や布を広げている。


 え? これって、日本だったらいつ頃の感じ?「おばあさんは川に洗濯に、おじいさんは山に柴刈りに・・・」 江戸時代? という言葉が頭に浮かんだが、そういう話ではなさそうだ。なぜなら、日本の江戸時代には、もっと高度な文化があったはずだからである。


 首都やいくつかの都市をのぞけば、この国ではインフラ、つまり電気・ガス・水道、舗装道路も何もない大地が広がっている。人は板きれや日干しレンガ、干し草で家を作り、川の水や湧き水を汲みに、頭の上に壷を載せて歩いていく。では、旅行者はどうやって旅をするのか? 点から点へジェット機やら小型機で飛んで行くしかない。 ムルンダヴァという西海岸の街は、バオバブの樹で有名な所だ。首都からここまでマダガスカル航空なら1時間。車だと15時間から1日半かかるとガイドブックに出ている。


 付近に住む農耕民族でアフリカ・ルーツのサカラヴァ族は、水田を作り、バナナやマンゴーを育てて暮らしている。彼らの交通手段は、2頭立ての牛車。夕暮れ時、農地から家に帰るのか、少年やおばさんたちを乗せ、牛車がゆっくりと通り過ぎていく。牛はみな背中にこぶがあるゼブ牛である。牛の乳を飲み、チーズを作り、肉も食べ、交通手段にもしている。商店街では、自転車で引く力車があり、それ以上遠くに行きたければ、タクシー・ブルースという乗り合いタクシーで、穴だらけのボコボコ道を走るしかない。

 海辺には、漁業を生業とするヴェズ族の村もある。ヴェズ族はインドネシア・ルーツと言われている。大きな樹をくり抜いたカヌーを作り、それに海でバランスをとるためのアウトリガーをつけて、手漕ぎで沖に出て漁をする。彼らはこんな船で2千年ほど前にインドネシアからマダガスカルにたどり着いた、島最初の人類の子孫なのかもしれない。マダガスカルという島は、1億6千万年前にアフリカ大陸から離れ、長く動植物だけの島として存在し、人間がやって来てからまだ2千年しか経っていないらしい。


 ヴェズ族は今でも、エンジンひとつないカヌーで細々と魚をとり続けている。彼らが街に買い物に行く時の乗り物ももちろんカヌーか手漕ぎの帆かけ舟である。


 こんな国だから、世界の経済統計上、マダガスカルは極貧国である。1人当たりのGDPは年間451ドルで、世界185カ国中179位。ちなみに、これは日本の100分の1である。多くの子どもが小学校に入学するが、卒業するのは約半数。なんとか字が読めたり、自分の名前が書ける程度の大人がいっぱいいる。


 でも、と私は考える。サカラヴァ族もヴェズ族も、大人も子どもたちも、みな何と生き生きとしていることだろう。渋谷の街で出会う人々と、バオバブの樹の下を行く人々の表情は、どっちが楽し気であろうか?ここまでくると、私は、人は何のために生きているの?と思ってしまう。自然の中で生まれ、自然に溶け合って生きる人々の力強さ、あっけらかんとした表情、時に見せるニッとした笑顔。ああ、楽しそうでいいなあ。


 文明は人を幸せにしたとは限らない。しかし、マダガスカルののどかな日々も、もうそう長くは続かないだろう。マダガスカルの資源に目を付けた日本が道路を造り、電気を引き込み、いつか新幹線を売り込んだりしたら、ここも普通の国になってしまうだろう。

 今はまだ、マダガスカルには地球に生まれ進化してきた、人の暮らしの原点を見るような楽しさ、魅力があふれているのだが。

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