#5 1980年6月18日

 水曜日。いまは結制が終って、お寺は夏休み中なのだそうである。とりわけ、夏の水曜日は、坐禅もなく、修行中の人々もゲスト・ハウスの人々も、みんな揃って、朝夕2食のおいしいご馳走をいただけるホリデーなのである。

 はじめて禅堂でいただいた朝食は、ここで作った本物のメイプルシロップをかけたそば粉のホットケーキと、いり王子などなど。たいへんおいしくて、子どもも大人も大喜び。

 後で知ったことだけれど、禅堂でのふだんの食事は、朝粥がわりの、オートミール、昼は、菜食の品がなにか作られ、タはパンだけだそうである。もと数学者の、お坊さん志願のアメリカ人が、大豆から上手にお豆腐を作るという。

 わたしたちは、この目、ニューヨークに帰る予定で、栄道老師を囲んで、にぎやかな朝を楽しんだ。

 わたしは、昨夜の坐禅のとき、あまり幸せに感じたので、

 「坐禅していると、幸せで幸せで、しようがありません」といった。

 老師は、ちょっとびっくりされたようだったが、わたしはかまわずにつづけた。

 「わたし、今とても幸せなんです。長い間の病気も治りましたし。考えてみると、こんなに幸せなことは、小学校4、5年生以来、はじめてなんです。いつも、何かを求めては、得られなくて悩んでいましたし、家族のことやらなにやら、いろんな肩の荷がありましたし。

 ところが、今は病気でなにもかも捨てちゃったから、何にも求めていないし、肩の荷だったことも、ふっと消えちゃって。何の心配事もなくなって、まるで、幼い子どもの頃みたいに、幸せなんですよ」

 「そう、それはよかった」老師はやはり、鷲きの表情で、こんなふうにいわれた。わたしも、ペラぺラとしゃべっちゃったけど、考えてみれば、「幸せです」なんて、わざわざお寺にいいにくる人もいないだろうな、と思って、おかしかった。

 食後に、老師は、わたしたち3人に、お別れだからと. お抹茶を点ててくださった。

 わたしは、自分の心が求めはじめた何かを知りたくなって、あと2日、滞在をのばすことに決めた。祐助も、すばらしい自然が気に入ったのか、「ずっと、ここにいようよ。ぼく帰るのはいやだ」といって、一も二もなく賛成した。夫は出張中だったので、慌てることはなかった。

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