2016.11.30 14:00#1 1980年5月1日 ニューヨーク禅堂正法寺(しょうぼうじ)の重い扉を聞けると、中は薄暗く、静まりかえっている。 玄関に僧衣を着た小柄なアメリカ女性が立っていて、ささやくような声で、初めての人、2度目の人は2階へ、3度目以上の人は1階の禅堂へと指示している。もちろん英語である。 ここはアメリカなのだ...
2016.11.30 13:55#2 1980年5月22日 ああ、ここは恐いところだな。深い淵の際に立っているみたい。この淵に、のめりこんでしまいたいような気がする。でも、この淵にのめりこむと、なにもかも変ってしまいそうで、恐い。恐いところだなあ‥‥。 リンと鐘が鳴って、坐禅は終った。みんな立ち上がって、経行をはじめた。 わたしも、ハッ...
2016.11.30 13:50#3 1980年6月16日 ニューヨーク郊外の山中に、ニューヨーク禅堂の本山というのか、大菩薩禅堂金剛寺(こんごうじ)というお寺がある。ここは湖のほとりにあって、お寺のほかにゲスト・ハウスも開かれているので、子連れで泊りながら、朝晩の坐禅に参加させていただけるという。 ちょうど今日から、祐助も夏休み。わた...
2016.11.30 13:45#4 1980年6月17日 眠れない夜であった。ふとんに入れば、ストンと寝てしまうわたしにしては、珍しいことだった ふと気づくと、梢がもう起きている。 「何時」 「4時過ぎ。まだ寝てて大丈夫よ。鐘が鳴ったら、お寺へいけばいいらしいから」 「ふーん。わたし今朝は眠いからやめとく。あなたいってらっしゃい」 う...
2016.11.30 13:40#5 1980年6月18日 水曜日。いまは結制が終って、お寺は夏休み中なのだそうである。とりわけ、夏の水曜日は、坐禅もなく、修行中の人々もゲスト・ハウスの人々も、みんな揃って、朝夕2食のおいしいご馳走をいただけるホリデーなのである。 はじめて禅堂でいただいた朝食は、ここで作った本物のメイプルシロップをかけ...
2016.11.30 13:35#6 1980年6月19日 いつのまにやら、わたしはマンハッタンの喧噪を忘れていた。閑かな、山の寺の暮しに身も心も慣れてきた。昨夜はぐっすり眠れたし.朝は朝で、ゴォォン、ゴォォン、という鐘が鳴る頃、ふっと目が覚めた。 いい朝だった。木立ち越しに、朝の草色に輝く水面を眺めながら、こげ茶の僧衣の裾を露に濡らし...
2016.11.30 13:30#7 1980年6月20日 嵐の朝であった。雨は強く降り、風は激しく吹き荒れ、湖は荒々しく、黒く光っていた。大菩薩のお山は、一変して、険しい姿となった。 今朝はもう、ニューヨークに帰らねばならない。最後の坐禅だな、と思いながら、禅堂のいつもの座に坐る。 座は薄暗く、風の音がヒョーヒョーときこえる。 閑かに...
2016.11.30 13:25#8 1980年6月22日 山のお寺から帰って、もう2日もたっているのに、まだわたしは、あの最後の坐禅の感動からぬけられないでいる。 人としゃべるのも、おっくうだし、なにをしようとしても、気持はふっとニューヨークを離れ、山のお寺の禅堂へと戻ってしまう。もっと坐禅をしたくて、家の中で坐禅をする場所を探す。が...
2016.11.30 13:20#9 1980年6月24日 昨日まで、考えてもみなかったことを、自分が感じ、考える、というのは、なんという鷲きだろう。 わたしの日に映る世界は一変してしまった。いや、世界は何一つ変らないのだけど、それを見るわたしの目が、突然、変ってしまったのだ。 気が狂ったのかしらと、何度も何度も思った。気が狂うとは、こ...
2016.11.30 13:15#10 1980年6月28日 夏の土曜日の昼下り。ニューヨーク禅堂の石庭を前にして、老師はお茶を点ててくださった。石のお庭に、まずたっぷりと打ち水し、すがすがしい冷気が感じられる中で、緑の一杯のお茶は、香りよく、この上なくおいしかった。 「お便り、読みました。わたしはほんとうにうれしかったですよ。 誰の場合...
2016.11.30 13:10#11 1980年7月4日 7月4日は、アメリカ独立記念日である。1976年のこの日、独立200年を祝う、盛大なお祭のなかで、大菩薩禅堂金剛寺は開かれたそうだ。 それから4年目の今日、大菩薩禅堂では、6人のアメリカ人の得度(とくど)式が行なわれている。 わたしはぜひ、この得度式に行きたかったのだが、得度式...
2016.11.30 13:05#12 1980年7月20日 わたしたちは、家族揃って、夏休みの1週間を、大菩薩のお山のゲスト・ハウスで過すことにした。いつもなら、バーミューダ島や、バハマの島に行くのに、この夏は、わたしも祐助も、ビーチャー湖のほとりで暮したかった。夫も、「あそこはいいところだから」と、つきあってくれた。 わたしたちは、遊...