#13 1980年7月23日
ニューヨークの支局に電話した夫が、どうも東京へ帰ることになりそうだという。3年の任期は終ったのだし、転勤の可能性は十分にあった。
「正式発表は明日だけど、帰るみたいよ」夫は静かにいう。
ほんの数日前まで、
「帰ったら、お正月は、しんしんと雪降る山の湯で過そうね」といっていたわたし。
それなのに、今この山で、「帰る」と聞くと、急にさびしくなった。夫は午後、山を降りて、オフィスへ帰った。
3年足らずの滞在の、ほとんどの日々は、病気で過した街、ニューヨーク。それでも、わたしはニューヨークが好きだったし、夫も祐助も、この街を愛していた。
いつしかわたしたちは、摩天楼の谷間の、汚れきった街角のにおいに、この街に生きる人々の体臭を感じるようになった。巨大なデブは巨大なデブなりに、ゆっさゆっさと体を振って歩いていく。極小のチビは極小のチビなりに、胸を張り、肩をいからせて歩いていく。わたしたちも、病人は病人らしく、黒い髪は黒い髪らしく、堂々とこの街を歩いていけばいいんだと気づき、ニューヨークの街に溶けていった。
去り難いなあ、と思う。今日ばかりは、ビーチャー湖を眺める気になれない。こんな心で眺めるには、美しすぎる水である。
夕食の時、栄道老師にお会いした。
「どうも、帰らなくちゃならないようです」
「帰るって、どこへ」
「日本へ」
「わたしは、あなたが九月に接心に来られるのを楽しみにしてたんですよ」
「わたしもそうなんですけど‥‥‥」
雲が流れていくように、1日1日も、あっというまに流れていった。
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