ガンガ豊饒 4

ありのままの性を讃える

 「行けども行けども、赤茶けた砂漠のような地面に、道と、いつか雨が降ったら畑になるのだろう、四角いそれらしい土地が見えている。木々はほんの少し。黒いシミのように生えている。見渡す限り、水というものはほとんどない。ごく小さな水溜り。あれは干上った川が残したのだろう。雨期になれば、ほんとうにここに水が流れるのだろうか。この焼けた鉄のような地面に?


 いたる所に道が見える。ここにも人が住んでいるのだ。


 乾期の終わり、死の季節と呼ばれるいま、空から見るインドの大地は、恐ろしいほど乾ききり、太陽が土をも燃え上がらせてしまったかと思うほど、赤い。


 飛行機が降りていく。あの真っ赤っかな地面に、わたしは降ろされるのだろうか。こんな所にホテルがあり、クーラーのきいたバス付きの部屋があるなんて、まるで奇跡だ」


 カジュラホ空港へ降りる直前、わたしはこんなメモを書いた。


 降り立ってみれば、気温42度。人口わずか2000人のちっぽけなカジュラホ村の上を、お日さんが焼いている。


 正午だ。


 村に通ずる道を、わたしは1人歩いていくと、象に遭った。象には男と荷物が乗っている。象は野良仕事に使われるらしく、畑の方に曲がっていった。


 ポクポクポクポク、木魚のように鳴く小鳥がいる。


 村人たちは、泥をこねてつくった家に住み(もちろん電気などない。ふだんはロウソクも使わない)、庭先で牛糞をまるめて、日に乾かしていた。傍で、おばあさんが香料にする豆(のようなもの)を選り分けている。


 黄色いサリーの女が、素焼きのつぼに井戸水をくんで、頭の上にのせていく。太陽は、乾期の間、半年間、この村にも容赦なく照りつけ、畑は砂漠のように乾いて、草もない。


 村人たちは、いったい何を食べているのか。貧しいことはごく貧しい。人も牛もヤギもやせてはいる。が、この村にはカルカッタのような凄惨さはない。むしろ、過酷ではあってものびやかな、1000年も昔の人の暮らしが、そのままここで営まれているかのようだ。


 こんな村に、なんでまた空港ができたのか。毎日1便、カルカッタとデリーを結ぶジェット機が、ここに降りる。1軒だがいいホテルもある。


 理由(わけ)はカンタン。9世紀から13世紀にかけて、ここはチャンデラ王朝の都であった。月の王朝の末裔と名のったチャンデラ朝の王たちは、お月さんの名を語るほどだから、大変粋な人たちで、ここに80いくつもの独特なヒンズー教のお寺を建てた。


 いま残っているのは20いくつ。そう大きくもない石造寺院の内壁、外壁いっぱいに、身の丈80センチほどの石像が何千となくひしめいていて、この多くが実に実にさまざまな姿態で、もっか性交中なのである。


 それで、これを見に、世界中の人々がジェット機で、カジュラホ村を訪れる。


 わたしも、象に出会い、リスに驚かされながら、のこのこ歩いて、もっともエロチックだというカンダリヤ・マハデブ寺の石像を見にいった。


「あるわ、あるわ。よくまあ、こんなに仰山つくりはりましたなあ。あのチンポコのデッカイこと!」

「この像は神サンなんでしょうかねえ。それともやっぱ、人間なんでしょうかねえ」

「Oh! He is making love with three girls!」


 観光客たちが、ヒンズー語、英語、ドイツ語、日本語、あらゆる言葉でびっくりしている。


 なるほど、すごい! カンダリヤ・マハデブ寺の外壁一面に、素っ裸の男女の体が躍っている。


 表情の、なんと物やわらかに、嬉々としていることか。四肢は、生き生きと流れるようにのびて、自分の求めるものをしかと抱きしめている。どの石像も、体全体であふれんばかり、性の喜びを表現している。


 よく見れば、69あり、オナニーあり、女3人男1人で楽しんでいるものあり。この石像たちには、およそ恥じらいといったものが、皆無である。ただただ、男女の性を楽しみ、生きることを楽しんでいる。だから、何をしていても、ちっともいやらしくないし、いやしくもない。


 大きな男根を馬に突き立ててる男がいる。男のものを一生懸命なめてる女がいる。その横には、他人(ひと)の性交をながめながら、自分の男根を握りしめてる男がいる……。


 その指先がなんともいえずほほえましいのである。人間の体って、こんなに美しいものだったのか。


 人間はこの地上で、こんなにもおおらかに、のびやかに生きていた日があったのか? 生きるということが、こんなにも美しく、楽しく感じられた日がほんとうにあったのだろうか?


 わたしはガンジス川の辺(ほとり)の焼場で、インド人が、ありのままの死を受けいれているのを見た。


 輪廻転生と彼らはいうが、つまるところ人間の体は土に帰り、その土から新しい生命が芽生えてくる。冬が来て、春が来るように、屍からいつか別の生命が芽生えることを信じて、インド人は安らかに死んでいく。


 そしていま、わたしがカジュラホ村で見た石像たちは、インド人がその昔、人間のありのままの生を、この上なく美しいものとして受けいれていたことを静かに語っている。


 それにしても、砂漠のような、過酷な大地の上で、おそらくは疫病と飢えに苦しみながら、インド人はどうしてこんなにも優し気な石像を彫れたのだろうか。


 カジュラホの石像を見ていたら、ふと、日本の仏さまは、ずいぶん気取ってるように思えてきた。日本の仏さまはいろんな欲望を抑えることによって、おだやかな顔をしているのだろうか。


 それにひきかえ、カジュラホの石像たちときたら、欲望丸出しで、その欲に従っていながら、おだやかな顔をしている。もしかしたら、こちらの方が一枚上手なのではあるまいか。


 「それにしても」とわたしは妙なところにイチャモンをつけたくなった。「西洋の教会は、あれはいったいどうしたことだろう。処女マリアが懐胎してキリストを生み、そのキリストが全人類を原罪、つまりは欲望から救うために十字架に磔になっただなんて。そんなに人間の欲ってもんは汚いものなのだろうか。マリアが処女でなければならないほどに?」


 わたしはふと、西洋の教会を飾る「天使」たちのことを思った。


 なんでまた羽の生えた「天使」なんてケッタイなもんを西洋人は考えたのだろう。カジュラホの寺のように、オチンチンやらオッパイやらぶらさげた像が(あれはヒンズーの神なのだろうか、人間なのだろうか、不勉強でどうもよくわからないのだが)寺を飾るのも、人間的でいいもんである。カジュラホを見たら、血のしたたる十字架や処女マリアを拝むという発想が、むしろ陰惨なものに思えてきた。


 文明を築き上げたという点で、西洋はたしかに強い。インドには何もない。だからといって、西洋人がより人間を知っていたということにはならないであろう。


 ポクポクポクポク、例の小鳥が鳴いている。カジュラホ村は日暮れてきた。夕日がカラカラに乾いた赤土を、赤く赤く染めた。


 小さなリスが足元にチョロチョロとからみつく。わたしはインドにきてはじめて、インドの土の上に寝ころんだ。


 真っ黄色の月がのぼってきた。月の王朝の末裔たちはいまはもう滅んでしまったが、月はいまでも、バンヤンの木より高いもののないこの村の、覇者にふさわしい。


 村から結婚式の音楽がきこえてくる。


 村の大人たちは、泥の家で月明りをたよりに抱きあって寝ているのだろうか。電気を引くことこそ、インドでもっとも有効な人口対策だ、と無粋な友人はいっていたが。


 インドの人たちは、案外、幸せなのかもしれないな。カジュラホ村の赤土のぬくもりを背中に感じながら、わたしは思った。



※ガンガはガンジス川のこと


1977年11月「サンデー毎日」掲載

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