ガンガ豊饒 2
聖なるガンガのほとり
インドは日本人にとって、そして多分西洋人にとっても、至極わかりにくい国である。たとえばインドの新聞には、こんな記事がのる。
宝クジに当たった下層カーストの男が、一生かかっても稼げないほどの大金(1万ルピー=約30万円。インドでは家が1軒買える)を手にしたが、彼はそれをそっくり自分のカーストの組合に寄付してしまった――。
下層カーストの暮らしといえば、泥でできた電気もない穴ぐらのような家に、親子3代、10人ほどで住み、一日汗水たらして働いては3ルピー(90円)ほどの日給を稼いで、辛うじて飢えをしのいでいる、というものである。
そんな赤貧洗うがごとき暮らしをしている男が、せっかく手にした大金をあっさりと寄付してしまう、どうにも理解し難いことだが、インドではこんなことが起こる。
なぜだろう? 彼は貧乏暮らししか知らないから、金の使い方がわからないのかもしれない。しかり。さらにまた、インドの下層カーストの人々には、稼いだ金を一人占めしないで、大勢の親類縁者で分けあい、助けあって辛うじて飢えをしのいできたという貧者助け合いの伝統があるのかもしれぬ。これも、しかり。
だが、インドを旅するうちに、わたしはどうもそれだけではないな、と思うようになった。インドの人々は貧乏なくせに、なんというか、わたしにいわせれば、途方もない思想をずしりとひきずって生きているのだ。それは、
「金や物なんか、大したもんじゃないよ」
「そんなものがあったって、人間幸せになれるわけじゃなし」
という思想である。
インドにはたしかに、物質至上主義を否定する思想、あるいは物質文明以前の思想というべきものが、いまも脈々として流れているのだ。「まさか」と多くの方は思われるだろう。いや、わたしはこの眼で見ました、とでもいえばいいのか。
わたしは、インドの人々を支えているこの思想、それはヒンズー教の思想でもあるらしいのだが、それをなんとかわかりたいものだと思って、ヒンズー教最大の聖地ベナレスを訪ねることにした。
「ガンガ」
わたしは人力車の男に行く先を告げた。ガンガとは、ガンジス川のことである。
聖地は、ガンジス川の岸辺であった。インド人にとって、もっとも聖なるものは、ヒマラヤの雪どけ水を集めて、ゆったりと大地を横切り流れていくガンジス川の水であった。茶色く濁ったガンジスの水辺で、インドの人々は、まさしくあらゆることをやっていた。
火葬を、片時も休まずにやっていた。わたしを案内してくれた人力車の男は、火葬の煙を指さして、「24 hours continue」と、いった。
タンカのようなものにのせて、次々と運ばれてくる人の死体を、聖なる川の水に、どっぷりと浸し、すぐ横に組んだ薪の上で、そのまま焼く。
わたしが最初ガンガを訪れたときには、水際で4体の死体が焼かれていた。人の体を焼く煙は、ごく薄青く立ちのぼり、においはほとんどしない。
桃色の布にくるまっているのは、女の死体。白い布にくるまっているのは、男の死体。燃えていくのは、どんな人生を送った人の死後の体なのであろうか。
若い母の死体に、別れを告げている5歳ぐらいの男の子がいた。その子は、一生で一番悲しい瞬間に、泣いていなかった。わたしにとって奇異に思えたことは、火葬に立ち会っている死者の親族たちが、誰一人泣かないということだった。
「輪廻(りんね)転生を信じているヒンズー教徒にとっては、死はちっとも恐ろしいことではない。おれは、いまから5分後に死んだっていいよ」
わたしがベナレスで泊まっていたホテルのボーイは、数年後に、外国のホテルのボーイになりたいという大きな夢を語ったすぐその後で、ケロッとして、
「でも、5分後に死んでもいい」
といった。
「ベナレスで死ぬことは、ヒンズー教徒にとって、最高の喜びなんですよ。ここで死ねば、来世で必ず『人間』に生まれ変われるんだから」
若いボーイは、来世を信じきっていた。生まれ変わると思えば、お葬式も悲しいものじゃないのだろう。
火葬が終わると、灰はそのままガンジス川に流される。小さな白い包みを抱いた男が、水際に降りてきた。その男は、小さな白い包みから、ゆっくりと手を放した。幼い子どもの死体は、焼かずに水に流すのである。白い小さな包みは、大きな川の水面を、漂うように流れていった。
わたしよりも、すこし下流にいたアメリカ人の若い夫婦は、夜、ホテルに帰ってから興奮した口調でこんなことをいった。
「あなた、小さな男の子の死体が流れていくのを見てたでしょ。あれね、岸にもどってきて、それを野犬が食べたの」
火葬場には、たくさんの牛がいた。牛はヒンズー教では神聖な生き物だから、野辺の送りにふさわしい存在なのだろう。そして、たくさんの野犬がいた。アメリカ人の夫婦は野犬が子どもの死体を食べたといって怒っていたが、私はガンガのほとりでまったく別のことを考えていた。ああ、インドの人々は、心の底から人間も自然の一物だと思っているんだなあ、と。人間は牛や豚や、ときには犬だって食べる。だったら、犬も人間を、それも死んでしまった人間を食べたっていいのかもしれない。
犬も牛も人も木々も、すべては土にかえっていくのだ。ガンジスの流れを見ていたら、わたしにもインドの人の心がのりうつってきたのかもしれない。いつか自分も死んでこうして土にかえっていくことが、ふと、うれしいことのように思われた。
火葬場の横では、聖者が水の上に張りだした板の上に座って苦行をしている。
その横は、インド各地から集まってきた巡礼者たちの沐浴場。聖なるガンジスの水に、生きている人々もまた、どっぷりとつかり、体を潔(きよ)めるのである。彼らは、この水で口もすすぐ。
その横では、女たちがサリーを洗い、子どもたちが泳いでいる。また、同じ岸辺で巡礼者たちは七輪で火をおこし、食事をつくって食べている。
さらに、火葬場の対岸は、ベナレスの人々のピクニック場になっていて、土曜、日曜は舟遊びをする人々でにぎわっている。
なにもかもごっちゃごちゃ。ミソもクソも、生も死も、喜びも悲しみも、ここでは一切の境というものを取りはらわれて、ガンジスの水に吸いこまれていく。
ここには、人間もまた自然の一物なのだから、川の水の浄化作用を信じて、自然に身をまかせ、生まれては死に、死んではまた生まれていく、ただ、それを繰り返していればいいのだという思想が、根強く息づいている。
「シリラム ジェーラム ジェジェラム」
ガンジスの岸辺では一日中、ラーマは偉大な神、という意味らしい、この単調な経文がとなえられている。日本でいえば、まぁ、南無阿弥陀仏、と一日中となえているようなもんだろう。
「シリラム ジェーラム ジェジェラム」
もの悲しい経文の響きは、人間よ、自然を使いこなして、物質的に豊かな暮らしをしようなどと、愚かな、思い上がったことを考えなさんな、あんたもどうせ灰になって、水に流れていくだけじゃないの、といっているようだった。
日が暮れて、白い満月が昇ってきた。わたしも舟を借りて、ガンジスの流れの上にでた。
満月の下で、死者を焼く火が、3つ、4つ、灯のように赤く燃えている。
ふっと、川の上に板切れを浮かべて苦行をしている行者の顔を見た。金髪の若い男だった。アメリカ人なのだろう。ヒンズーの聖者になりきって、裸の体に牛の糞(ふん)を燃した灰をまっ白く塗っていた。
彼は、物質文明を築き上げた豊かな国からインドにやってきて、ガンジスの水に帰依してしまったのだ。
インドはたしかに貧しい。が、この国には、豊かな国がすでに失ってしまった、人間の暮らしがある。
※ガンガはガンジス川のこと
1977年11月「サンデー毎日」掲載
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