ガンガ豊饒 1

貧困というものの姿

「インドというのは大変な国やで。女ひとりでいったら、きっと身ぐるみはがれる」


 日本を発つとき、友人にさんざんおどされたが、


「ま、はがれたら、はがれたときのこと」と、わたしは気軽にカルカッ夕、ダムダム空港に降り立った。


「さあ、インドだ」


 わたしは心はずませて、カルカッタの街へ出ていった。が、カルカッタでわたしが見たのは、インドで最も不幸な人々の姿であった。


 カルカッタは800万の人口をもつ、近代的な都会である。が、その近代的な顔はアパタだらけで、一面ウミが吹きだしていた、とでもいえばいいのか。


 路面電車や2階だてのバスが行き交う道端で、実に人口の4分の1、200万人もの家のない人々が、着のみ着のまま暮らしていた。カルカッタの街でわたしが見たものは、貧乏のドン底、飢餓線上にある人々が、必死で生きようとする姿であった。


 この路上生活者といわれる人人は、文字通り、道の上で暮らしていた。彼らには家もなく、家具もなく、寝具すらない。あるのは、ちっちゃな七輪一つ。牛糞の乾したヤツを燃やして、女は道で煮炊きをする。その七輪のあるあたりの路上が、一つ家族10人余りの生活の場なのだ。


 麻袋のある人は、それをひろげて辛うじて日陰をつくっている。わたしは、新しい土管に住んでいる家族を見かけたとき、「ああ、これは上等な所に住んでいる」と思った。それほどまでに、ここの人々にはなにもないのだ。


 路上のところどころに、30センチほどの高さに突き出している蛇口のとれた水道の水で、彼らは一切のことをする。その水を飲む。その水で水浴し、洗たくし、大便の後をふいた左手を洗う。トイレはないから、大小ともそこらへんでする。そして、夜がきても、どこにも行く所がないから、そこらへんにコロンところがって寝る。セックスも、やはり道の上でする……。


 ここでは誰もが必死で生きていた。笑顔はなかった。ただ、子どもたちだけが、素っ裸でも楽しそうにころげまわり、白い歯を見せて笑っていた。


 路上生活者の収入は、仕事にありついた日で、1日3ルピー(100円)ぐらいである。仕事は、工事に出たり、人力車をひいたり。40度を超える暑さの中で、バスやタクシーが行き交う道を、人を2人も乗せた重い力車を男がひっぱっていく。力車は、ギイギイとにぶい音をたてている。


 行けども行けども、苦しそうな人々の群れ。わたしはもう歩く気力さえなくして、しばらく道端にしゃがみこんでいた。こうしていると、街の人々の「生きたい」「生きたい」という熱望がひしひしと伝わってくるようだった。


 カルカッタにきてから、わたしは「悠久、なんて言葉でインドを語るのはクソクラエだ」と思うようになった。この人たちが、近代的な大都会の真ん中で営んでいる原始時代さながらの生活は、決して好きこのんでしているものとは思えなかった。


 カルカッタには、同じインド人ながら、クーラーのきいた清潔な部屋に住む人々、つまり現代文明の恩恵を十分に享受している人々もいるのである。


 夕食時、わたしはダレート・イースタン・ホテル内のフランス料理店マキシム(物価の安いインドでは、マキシムでも1000円で食べられる)で、文明の恩恵を浴している方の、3人のインド人と知合いになった。


 3人とも高級官僚で、親分格のゴース氏は50代の技師。月収2200ルピー。この額は、インド庶民の月収の10倍から20倍にあたる。彼は3人の子どもをみなカレッジに進ませたという。


「あなたのお子さんは幸せですね。カルカッタには、食うや食わずの貧乏人がいっぱいいるようですが」


 ゴース氏はギョロッとした眼でわたしを見かえして、悠然と答えた。


「カルカッタだけではありませんよ。インド中に貧乏人がうようよしています。が、貧乏か金持かということは、幸せとは関係のないことです」

「えっ?」

「たとえば、わたしはラジオをもっています。彼ら(2人の部下を指して)はもっていません。が、別に彼らは不幸ではないし、わたしはラジオがあるから幸福だとは思いません。

 人間の幸せというのは、心の問題です」

「だって、お腹をすかせている人は不幸でしょ」

「いや、なにももっていない彼らは幸福なんですよ。金持の方が、あれもほしい、これもほしいと次々に欲望を感じるから、けっきょく不幸なんです。マハトマ・ガンジーがそういってますよ。人を幸せにするのは、自分の欲望を捨てて、人を助ける心をもつことだと」

「じゃあ、あなたも巷に溢れる貧乏な人を助ければいいのに」

「いや、彼らはちっとも不幸ではないのです。貧乏人の方が、ほんとうの幸せに近いところにいるのです」


 ゴース氏との会話は、平行線をたどるばかりだった。わたしは正直いって、この男、なんたる詭弁(きべん)を弄するのか、と腹を立てた。自分はマキシムでメシを食っているくせに、飢餓線上にいる人々を不幸ではないといいきるなんて。


 しかし、皮肉なことに、わたしがカルカッタ到着以来はじめてほっとしたのは、ゴース氏のいっていた“人生、カネやモノじゃなし”という思想が、いまもインドの庶民の中に脈々と息づいていることを知った時だった。


 それは、――ヒンズー教の聖地ベナレスでのことだった。ヒンズーの信仰に支えられ、ガンジス川の流れに身をまかせきって生きるインドの人々は、なに一つもっていなくても、幸せそうだった。


 死さえ、彼らは平気で受け入れていた。輪廻転生を信じているからだという。


 わたしはガンジスの水辺に集う人々を見て「インドの貧しい人々は案外強いのかもしれないな」と思った。ゴース氏のいい分には断じて従えないが、それでも「ああ、インドの人たちは、少なくとも日本のわたしたちのように、ただただ物質的な豊かさを求めて生きてるんじゃないらしい。だったら、あの悲惨なカルカッタの暮らしも、インド全体をおおっているものすごい貧乏も、わたしが思うほどには、インド人にとって不幸なものではないのかもしれない」と思った。


 しかし、わたしはあくまでゴース氏のおしゃべりが気になった。インドの人々の心の底を流れている“人生、金や物じゃなし”という思想は、インドの金持が貧乏な人々をいつまでも貧乏なまま見捨てておくのに、ずいぶんと都合よく利用されているのだ。


「難しいもんだなあ」……わたしは、日本のわたしたちとはかけ離れた思想に生きるインド人の気持をおしはかりかねて、思った。


 が、その後、旅を続けていくうちに、ふと面白いことに気がついた。インドの貧しい人々は、ちゃんと金持の屁理屈を逆手にとって、生きているのだ。


 インドにはメチャメチャ乞食が多い。というより、貧乏人は金のありそうな人の顔を見ると、あっというまにみな乞食に豹変するのだ。


「1(ワン)ルピー」


 大人も子どもも、口をそろえて、臆面もなく物乞いする。


 わたしは最初、インド人はどうしてこうも堂々と恥ずかしげもなく、他人に金をねだることができるんだろう、といぶかしく思った。


 貧しさのせいか。しかり。が、原因はそれだけではないようだ。


 インドの貧しい人々は、お金や物なんか大したもんじゃないと思っているから、いとも気楽に乞食ができるのだ。


「1(ワン)ルピー」「1(ワン)ルピー」


 インドの町々できかれる貧しい人々の呼声は、なにやら托鉢坊主の経文に似ていないこともなくて、


「あなた、お金なんて大したもんじゃないんでしょ。だったら、たくさん持ってる人が、足りないもんに分けていってくださいよ」


 といっているように聞こえてくる。




※ガンガはガンジス川のこと

※文中のカルカッタは今のコルコタ


1977年11月「サンデー毎日」掲載

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