#11 昼の歌1
Song of Day, book1 新しい発想で科学が飛躍的に発達し、地上の楽園が実現
夜が明け朝を迎えた新しい人間たちは、やがて千年の後、太陽のさんさんと輝く真昼の季節を迎える頃でしょう
このとき
太陽のエネルギーは最大限の光と熱で地上に降りそそぎ
地上の人々は太陽のエネルギーをあますところなく全身で感じとって
嬉々として暮らしていることでしょう
この頃、人間たちは
重力制御をすることが出来るようになっていて
一人一人の人間が簡単な装置を使うだけで
自由に空を飛びまわれるようになっているでしょう
チョッキのようなものに特殊な装置を付けたりという
そうした簡単なことで自由に空中に舞いあがり
鳥のように空を飛んで
どこへでも行くことが可能になっているでしょう
人間が空を飛ぶスピードは
そうはいってもそれほど速いものではないので
この時代にも乗り物はもちろんあって
ジェット機のように空を飛んで行く乗り物や
宇宙船のように宇宙へ行く乗り物もあります
ジェット機や宇宙船は
いまの人類が使っているように
遠距離の移動に使われるでしょうし
また、現在、人々が自動車や電車のような
乗り物を使ってする距離の移動には
地上ではなくて
空中を移動する電車やバスのような乗り物が作られていることでしょう
人々は、近くの友人を訪ねたりするときには自分の力で空を飛んで行き、
もう少し遠いところはこの空中の乗り物を使って移動することでしょう
ジェット機といってもジェット・エンジンを積んだ飛行機ではなく
これに代わる何か新しい空を飛ぶ機械が発明されているでしょう
というのは、石油を使ったりしないからです
エネルギーは主として太陽エネルギーを使うことでしょう
この真昼のときに
太陽の光と熱は最大限の強さで地球に放射されてきますから
この豊富な太陽のエネルギーを使って
いくらでも発電することが出来るでしょう
電気もいまのような面倒な電線を通じなければ
送電出来ないものではなくなっていますから
空中を飛ぶ飛行機や電車やバスのような乗り物についても
送電は非常に簡単になっているのです
宇宙ステーションで
太陽のエネルギーを受けとめ
そのままダイレクトに
空を飛ぶ乗り物に送ることも出来るでしょう
特殊なエネルギーの送信、受信装置が出来るはずです
このように人間は三千年代になると
非常に自由に空を飛びまわって暮らしていますけれども
やはり、人間は二本の足で歩くという
スタイルをやめるわけではありませんから
地上の生活をも楽しんで暮らしていることでしょう
この頃の地球は
今の地球のように公害や汚れがなく
空気は澄み
水は青く
土も生命をとりもどしているので、緑も生い茂り
たいへん豊かな楽園のようになっていることでしょう
そして、ハイウェイなどの
コンクリートの道も全く必要ないわけですから
地上には人間が歩くための緑豊かな道が
平野にも
また、山の頂上に向かっても伸び
それは川を越え、谷を越え
この頃には今のような国境線はなく
隣りの国
そのまた隣りの国へと
人々が歩いていける道も出来ているでしょう
この道は動物たちも歩いていますし
人間はこの道を歩いたり
また、飛んだりして
自由に訪ねたいところを訪ねていることでしょう
この頃の人間は
空を飛んで移動が自由であるという点で
霊界のわたしたちに近いような
自由さを得ているといえるでしょう
いったんは地球に広がったあちこちの砂漠も
この頃には水路も生まれ
アマゾンも、サハラも、ゴビも、アメリカ合衆国の砂漠も
みんな緑豊かな土地に変わっていることでしょう
高山をのぞいては
地上のほとんどすべての場所が
人類の生活に適するようになっているでしょう
住宅は地上にも建てられるし
また空中に浮かべるように作ることも出来るでしょう
人間はより空間を自由に豊かに利用して生きることが出来るわけです
科学の進歩によって得られたこういう便利さはその頃の人類に
霊や心や魂の自由を強く実感させることになるでしょう
地上をより自由に動きまわれるということは
肉体的自由だけでなくて
霊や心や魂の自由の実感を非常に強く人々に与えることでしょう
その意味でも、この頃の人々は
霊界のわたしたちに近づいてきたといえるでしょう
身体が空を飛べるということはただそれだけの意味ではなくて
人間が長い間負ってきた肉体の束縛
そして長い間に積み重ねられてきたカルマ(注)の束縛
そういう束縛から徐々に軽くなっているということの証なのです
夜明けのときに多くの汚れや垢を洗い流した人類は
さらにその後知的にも自由になり
三次元的世界を知的に超えて
すばらしい科学を発達させ
同時に
霊的にも、また、心の次元においても
どんどん自由になっていくのです
この頃の人間社会はどのように運営されているのでしょうか
夜明けの直後には
戦争やさまざまな災害によって
人類の暮らしは
これまでに作り上げたものをかなり失って
ある程度原始的な時代から再出発しなければならないことでしょう
けれども、このことは
夜の間に人間が作り上げた社会制度の束縛
そういったものから人間を自由にするためにも必要なことなのです
ですから、夜明けのときには
比較的小さな村落単位で
作物を作り、必要な教育を子どもたちに施し
あるいは、おたがいに共通の楽しみを見つけたりして
暮らしていくというところから始まるでしょうが
もともと、あなたがたは
高度の科学を身につけているわけですから
その後どんどんと新しい科学の世界を開拓して
その科学の力で実際に新しいさまざまな
生活に便利な製品を作っていくことでしょう
これらのことをやっていくためには
もちろん工場も必要になるでしょうし
研究所も必要でしょうし
さまざまな原料を一定の場所に集めたりといった
これまでに人類がしてきたいろんなことが必要になることでしょう
これまでは、たとえば企業という形をとったり
国と国の貿易という形をとったり
あるいは、そうした権利を守っていくために
国という社会体制を作ったりして
人間は社会生活を営んできたわけですが
夜明けのあと
その新しい科学によって
小さな村落共同体的な生き方からだんだんに
新しい時代に向かっての歩みを始めるときに
どのような形で人間の社会を運営していったらよいのか
それが大きな課題となることでしょう
ただ、夜の時代にあったような工場をすぐにまた建てたり
それを守るために法律や国家を
すぐにまた作るということには決してならないでしょうし
また、そんなことではせっかくの夜の嵐という
人類にとっての最も苦い経験を活かすことにはなりません
一つの社会経済機構
たとえば、今までの営利を目的とする企業に代わる
どのようなものを作ればいいのか
あるいは、一つの地域の住民の権利を代表する国家に代わって
どのようなものを作ればいいのか
あるいは、貿易というものは
いったい誰と誰が代表者となって行えばいいのか
あるいは、子どもたちの教育
これはもちろん村落共同体的生活の時点でも当然始められているし
それは最初はそれほど大きな地域で
集中して行う必要はないのですけれど
それでもやはり高度の科学とか
科学にかぎらず、さまざまな高度の文化を
人間が創っていくためには何かしら研究所が出来たり
大学のようなものが出来たりする必要があることでしょうから
教育をどのように
運営していくのかという問題もあるでしょう
さらに、消費の面でも
これまで行われてきた貨幣経済
貨幣に当たるものが全くなくなるわけではありませんが
それにしても、人々が働いてお金を稼ぎ
それによって暮らしをたてていくという生活のパターンは
夜明けとともに変わっていることでしょうから
その後、経済が発展して
新しい科学技術の製品がどんどん生まれてくるときに
それを人々にどう分けていくのか
そういった問題も大きなテーマとなることでしょう
一つの生命を生きる人間として
たがいに愛しあい
調和して生きていく中で
どうすればこれらのことを実現していけるのか
それがまず新しい朝を迎えた人類への大きな課題としてあるのです
この課題の超え方を、今、ここで述べることは出来ません
それは
夜から朝への変化のときに学んだ
愛によって生きるという生き方から
導き出し、考え出していかなければならないからです
そういうふうにして社会制度も新しく創られて
科学だけでなく、音楽も、美術も、文学も
あらゆる分野でもっと人間の感性が開かれて
霊的な感性を楽しませる今までになかったような
人々との触れあいや
芸術的な表現法が生まれるでしょう
また
たとえば大きな山に囲まれた静かな盆地とか広い野原とかで
大勢の人々が同時に同じ霊的な感性によって愛の響きあいを体験し
ほんとうの共感を感じとって
幸せにひたるというようなことも起こるでしょう
これまでは夏祭りといった感じで
みなともに集まって楽しんでいたのですけれど
朝を迎えた人類は
多くの人々が自然の中に集い、ともに完全な
霊的一体感にひたるといったようなことが行われるでしょう
そのように大勢の人々のエネルギーが一つになることによって
人々はすみやかに浄化され
また、地上にいながらも肉体を忘れて光の中に生きる
非常に幸せなフィーリングを感じることが出来るようになるでしょう
そのとき
隣りにいる人々
あるいは、隣りにいなくとも遠くにいる人々とも
ほんとうに一体感を感じとることが出来
そのことがどれだけ幸せで安心で
至福であるかということを感じとるでしょう
こうした人々の感性は
一つの場所に集ったときだけでなくて
その後、各々の都市や村落に戻って暮らしていくときにも
その感性を忘れることなく
多くの人々との一体感を実感したまま生きることが可能になるでしょう
そしてまた、それは夏祭りにかぎらず
春でも、秋でも
どんなときにでも
人々はそのような合霊のときをもつことでしょう
それは夜の時代に人々がいわゆる宗教と呼んでいた
何か自分と別のものを信じるということではなくて
ただ、そこに人々が集まり
美しい自然の中でともに太陽の光をあび
小鳥の声を聞く
そうした静けさの中で
たがいに一つの生命を生きているということを感じとるのです
それにはどんな言葉もいらないし、どのような説明もいりません
ただ
人々が光の中で一体感を感じとるということで
ほんとうに霊的な至福を感じとることが出来るでしょう
そういう意味でも、そのときのあなたがたは
わたしたちの在り方にたいへん近くなっているのです
肉体がありながら
一応三次元の世界にまだ閉じこめられている形ながら
そこまでの感性を持てるようになることはほんとうにすばらしいことです
しかも、多くの人々が
同時にそういうふうになることが出来るでしょう
この頃になると、人々は
数十メートル、数百メートルの空中を利用するだけでなくて
あるいはジェット機の飛ぶ高さの空中を利用するだけでなくて
遠くに数多くの宇宙ステーションをもち
月にまで出かけていって住み
その途中のあちこちにも
いろんな形の宇宙都市をもって暮らすことも出来るでしょう
地上の人口が多すぎて
どうしても宇宙へ行かなければならないというようなことではなくて
宇宙での暮らしは人間の体験の巾をひろげ
人間がより軽くなって
光への方向に行けるために開発されていくのです
ですから、宇宙ステーションでは
人々は暗い宇宙空間から
ブルーとグリーンに輝く地球を眺めたり
黄色に輝く月を眺めたりしながら
深い瞑想に入ることが出来るでしょう
宇宙では
星も生命であり
人間も星と同じ生命だということを実感する場となることでしょう
宇宙空間では
人々がそこに植物の種をまき
さまざまな緑が茂ったりする人工的な宇宙都市もつくられ
そこでは瞑想だけでなく普通の生活もいとなまれることでしょう
けれでも、その頃の人々は決して
これを軍事的な目的に使おうなどという発想さえしないでしょう
宇宙都市はあくまで平和なすばらしい人間の生活の場所なのです
地上にいる方が人間にとっては
もちろん楽に生きていけるわけですから
多くの人は地上で暮らすわけですけれど
さらに深く自分の中の光を見つめて
知的にも霊的にも啓発されたい人々は
望んで宇宙へ行って、いろいろな体験を積むことでしょう
さらに、海の中も人々が暮らす場所となるでしょう
海の中に
特殊なガラスを使ったさまざまな小さな都市のような建物がつくられ
そこもやはり宇宙と同じような意味で
人々が自分の体験をひろげて
より多くのことをわかっていくための場所となるでしょう
今の人間にとっては
人生の目的は物やお金や地位や名誉を得ることにあるとするならば
その頃の人々はそんなことは全く考えないで
自分と宇宙との一体感をより深め
宇宙そのものをより深く実感していくために
一生懸命、肉体をもっている時間を使っているのです
その意味でも
この頃の人々の地上の暮らしは
霊界のわたしたちの暮らしにたいへん近づいているのです
霊界では今でも
わたしたちは人間として生きる意味、また、霊として生きる意味を
そのようなことだと教えられて生きています
人間もその三千年が近づく頃には
すべての人がそのような気持ちで生きるようになるでしょう
(注)カルマ:過去の想いや行為の結果残ってしまった感情による心の重さ
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