#12 昼の歌2

Song of Day, book2 過去世との対話の時代



三千年を過ぎると、人類は

このような科学技術が進んだ豊かな平和な時代に慣れすぎて

ただひたすら光へとすべての力をつくして歩み続ける

というようには生きられなくなってくるでしょう

この頃には

人々は霊と心と魂と肉体のすべての面において

至福ともいえる調和を経験し

かつて地上で一度もなかったようなすばらしい人類の平和な生活を

当然のものとして受けとめるようになり

限りなく自らを浄化して光に近づいていくという

努力を怠るようになるかもしれません

すばらしい朝と昼の時代は

地上に生きるすべての人々が自らを軽くし

光に近づいていこうと絶え間なく努力した結果得られたすばらしい調和

すばらしい進歩の時代なのです

ですから、三千年を過ぎて

人類のなかにそのような努力を怠る者が現れると

このすばらしい調和はだんだんに崩れていくことになるでしょう

人々はその頃になると

欲望とはまたちがうけれど

どちらかといえば怠惰な気持ちになり

地上の楽園のような暮らしが

別に努力しなくても

そのまま永遠に続くものと思い込みがちになるのです

そして、そうなると

一人一人の人間が今まで清算しきれなかった

カルマ(注)によってまた強く影響されるようになって

光へ近づく努力を怠る者や

さらには、カルマによって

さまざまな調和を乱す行為をする者が現れるでしょう

それまでは、たとえば食べ物にしても

着る物にしても、科学製品にしても

すべての人が必要なものを必要なだけ取って

それで社会全体

あるいは地球全体の調和は見事に守られてきたのですけれど

この頃になると

人々はいつも光に近づこうという努力を怠るがゆえに

自分にとって必要なものは何かということが

だんだんわからなくなってくるのです

そういうふうにいつも光に向かうということを目指していないかぎり

人間は肉体をもっていて

その肉体に付随する重さがあり

そしてまだ清算していない何万年も続いた

一人一人のもっているカルマがあるわけですから

その重みによって

ほんとうに自分の望んでいるものが何なのかが

わからなくなってくるでしょう

だから、ある者は物質的なものでも必要以上のものを取ってみたり

また、ある者は自分が世の中で果たす役割がわからなくなって

自分にふさわしくない教育を受けてみたり

ある者は自分にふさわしくない職業を選んでみたりして

さまざまな混乱が始まるでしょう

それでも、人々はたがいに愛しあい

愛によって生きていくというそれまで続いた生き方を

そう簡単に崩してしまうようなことはありません

けれども、愛によって生き続けるにしても

自分がほんとうに何を望んでいるのか

その方向性が混乱し始めたために

相手が何を望んでいるのか、相手に何をしてあげたらいいのか

あるいは、社会をつかさどる人々は

多くの人々のために何をしてあげたらいいのか

そういったことがわからなくなり

その結果、双方の願いにくいちがいがでてきたり

ズレがでてきたりすることでしょう

二千年代後半の社会ではそのようなことさえなく

人々は自分の願いのままに生きて

それで全地球上は調和しているというような

地上の楽園を生きていたのです

けれども、ここに至って、三千年を過ぎた頃から

徐々にそのような調和が乱れ始めて

地上の楽園と思われた社会に

また、さまざまな軋轢(あつれき)が生まれ始めることでしょう

もちろん、その頃の人々は

たがいにより深く愛しあうことによって

乗り越えようと努力するでしょう

けれども一人一人の心の油断から始まった混乱は

かなり地球全体に広がってしまうでしょう

人々が望むように生きていくこと

愛によって相手が何を望むかもわかって

おのずから社会全体の調和が保たれるということだけでは

問題の解決が出来なくなってしまうと感じることでしょう

ほんとうはただ人々が愛にたちかえり

一人一人がもっと必死になって方向を求めるということで

全地球上が軌道修正出来ればいいのですけれど

おそらく、そのときの人類はそのようなことがなかなか出来なくなっているでしょう

つまり、それまではすべての人が全く自由にしたいことをしても

調和が保たれていたのに

また、やっぱり社会機構の力で社会の調和をはかろう

ということになっていくかもしれません

その時代なりの思想打ち出されて

それをそれぞれの地域の指導者たちがそこに生きる人々に押しつける形で

この混乱を収拾するようになるかもしれません

そうなると、人々はそれまでの最高の軽やかさから離れて

だんだんに地上の生活に重みを感じるようになるでしょう

そのときには、夜明けより前に人類を縛ってきた

国家、憲法、法律とか

そういうものによって束縛されるわけではないけれど

道徳というか

人間としてこの世に生まれたからにはこのようなことをし

かく生きなさいという思想が

人々の心や身体を縛るようになるでしょう

いかなる言葉による思想も必要でなかった人々が

再び、思想によって

自分たちを縛っていくような時代が始まることでしょう

その思想は夜の時代の人間の思想に比べれば

どれほどすばらしいものかわからないけれど

そのような思想や

それを形にした制度で人間社会を運営することは

ある意味での後退であり

そこに生きる人々はそのことによって苦痛を感じるようになるでしょう

しかし、このような一見後退にみえることが

ここでなぜ起きるのでしょうか

それはさっきも言ったように

人々が、さらにひたすら光へ向かおうという

最高の情熱を失ってくるからなのです

その情熱を失う原因は

何千年あるいは何万年まえから人々が持ってきた

カルマの重みにあります

朝から昼に至る時代に

人類がすばらしい調和を体験したあとで

再びカルマの重みを感じるようになるというのは

その次の千年、つまり三千年代を通じて

地球始まって以来人間が積み重ねてきたそれまでの全カルマの重みを

解消するために起きるのです

二千年代にすばらしい調和を体験し

人類がすばらしく進歩しているからこそ

三千年代にカルマの重みを自覚し始め

さまざまな矛盾をまた地上に感じ始めて

それを通して全人類のカルマを清算するという

昼の後半から夕べにかけてのむずかしい時期が始まるのです

人々はそれまでのやさしさと愛だけの表情を失い始めて

たがいに不信感をもったり

裏切ったり欺(あざむ)いたりすることも起きるでしょうし

意識的に人をおとしいれたり

物事を破壊したりすることも起きるでしょう

それは、その頃の人類にとってみれば

驚くような巨大な悪と感じられて

まわりの人々も

また自分でも、なぜそのような行動をする人が現れたのか

たいへんびっくりし、とまどい

大きな問題となっていくでしょう

その頃の人々は

いわゆる社会的な悪とか人間的な悪というものに慣れていないのです

たった一人の殺人が行われてさえ

その頃の人々は考えられないほどの驚きを示し

同じ人間がそのような行為をしたということに

信じられないほどのショックを受けることでしょう

地球上でたった一人の殺人が行なわれたということが

全人類が大討論をするような出来事なのです

それほどにも

人々はそれまでやさしく愛しあって暮らしてきたからです

人間性はすっかり変わったと信じていたのに

まだ、長い長い過去世のカルマの影響で

その頃の人類でさえ人を殺すということが明らかになったときに

人類のショックは大きいのです

しかし、もちろんこの頃の人々は

人を殺した犯人を死刑にしようとは

思いつくことすら出来ないでしょう

しかし、その犯人もまた

そのようなことがなぜなされたのか

よく理解出来ないし、たいへん苦しむことでしょう

友を殺したその人は

信じられないような驚きを人類に与え

人間は変わったのになぜこのようなことが起きたのかを

全人類に痛切に考えさせることになるでしょう

本人も非常に苦しみ

このことをきっかけにして

人々は、過去世のカルマが

人間にはまだ残っていたということを深く知るようになるでしょう

当然、殺人はあらゆる人にとって不快なことですけれど

だからといって、それがカルマによるものならば

その人をどんなに責めても仕方がないのだ

ということも議論されるでしょう

それで

人間がずっと過去世から積み重ねてきたカルマとは何かということが

世界の人々の間で話し合われるようになるでしょう

三千年代に至って

すべての人類は輪廻転生(りんねてんしょう)の間に積み重ねた

カルマの解消を迫られて

自分の過去世の意味を考えることになるでしょう

何がまだ人間の肉体をとり続けるための

重みになっているのか

一人一人の人が自分のうちに追求し

わかろうと努力するようになるでしょう

一方で、科学ますます進歩し

静電気の力を利用したり、磁力を利用したり

あらゆる自然界のエネルギーをそのまんま

いかなる公害もなく、無理のない形で引き出して

人間生活に役立てるところにまで至っていることでしょう

この頃の人々の暮らしは

物質的には安定し、円熟したものとなっているでしょう

三千年代の人類は

物質的なことへの欲望はそれほどありませんし

物質的にはほんとうに何の不自由も感じないでしょう

そしてたがいに愛しあうという愛のある社会なのですから

ただひたすら一人一人の人が

それまでの過去世において

いかなるカルマを積み重ねたかを探求し

その重みを自らわかって

解消するということが

この頃の人間の生きている意味になるでしょう

そして、この頃までには

すべての人が霊的にもたいへん開発されているので

自分の過去世を知ったり

過去世に出会った人々との縁を知ったりすることが出来ることでしょう

友だちや、夫婦や、親子や、師弟や

あらゆる関係での出会いにそのカルマ的意味を見つめて

すべてのカルマの重みを解消すべく人々は努力を始めるでしょう

宇宙空間や、海の中や、あるいは地上で

人々が深めた霊的な体験やその直感能力が

すべてカルマの解消のために生かされるでしょう

しかし、カルマの解消ということは

人間にとってたいへん難しいことなので

この時代の人々もずいぶん苦しみ悩むことでしょう

殺人にかぎらず

人が人を精神的に傷つけたり、裏切ったりする行為が

なぜ自分のうちから出てくるのか

それがわからなくて人は悩むでしょう

そして、その意味を掘り下げていくときに

それが過去世のカルマによるものだと気づき

その原因と意味がわかったときに始めて

そのカルマを人は解消することが出来るのです

それは行為としてそれほど重大なことではないと

今の人々が思うようなことでも

そのときの人々にとっては非常に重く苦しいことと感じられるし

その苦しみによって

カルマを解消していくことになるのです

なぜなら、その頃の人々はほんとうに霊的に開けているので

小さな裏切り行為もまた

たいへんに大きなものとして感じられるからです

このようにして

人類として積み重ねたカルマを解消し続けていくということが

三千年代の人類の大きな課題となることでしょう



(注)カルマ:過去の想いや行為の結果残ってしまった感情による心の重さ

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