#13 昼の歌3

Song of Day, book3 過去世のカルマを解消して、完全な調和へ



三千年代後半になると

人類は美しい地球の上で

大地とも

水とも

樹々とも

美しく晴れわたった空とも

雲とも

すべての自然と一体になって

ほんとうに溶けあって暮らせるようになるでしょう

朝、目が覚めると

人々は自分の体を包んでいる空気のかぐわしい香り

そのやさしい感触

そういうものをまず一番に感じることでしょう

そして

外に出れば樹々の葉の間からさしこむ朝の太陽の光を

肌にあたたかくやさしく感じることでしょう

鳥の声や牛の声

動物たちの声やせせらぎの音

すべてのものがやさしく人間の肉体をつつみ

心をつつみ

霊的にすべてのものと溶けあって

人々はほんとうに深い一体感の中で

地上の生活を充分に味わってくらすことが出来るようになるでしょう

湖で泳げば

水を身体に着ているように感じるでしょう

水の中にいる魚やアメンボウや

すべての生きものとともに

それらの生きものが泳ぐ波紋を自分の肌に感じます

そんな繊細な感覚をもって人間は水の中を泳ぐことが出来るでしょう

水のにおいも

そのときは今とは全く違うでしょう

もし水底が汚れていたり

水に中にいろいろな公害物質があったならば

その頃の人々は

そんな汚れた臭い水などとても耐えられないと感じることでしょう

冷たく澄んだ透明な水

あるいは南の海の暖い水の中で

すべての微生物や魚やいろんな生物が生活し

そうした生物や水草たちがつくりだす海の香りや沼の香り

それをその頃の人々は肌で楽しみ

もちろん鼻でも楽しみ

全身で水と溶けあって

水の中にいるということをほんとうに楽しむことが出来ることでしょう

森にいけば樹々がつくりだす精気によって清められた空気を

肌で感じ全身で感じとることでしょう

人間は空気によっても

水によっても

土によっても

すべてのものによって

霊も心も魂も肉体も

すべての点で清められて暮らす日々が続くことでしょう

人々の心は

そういう暮らしの中で限りなくやさしく

透明になって

どんな小さな想いや汚れ

そういったものも見逃さないで感じとるようになるでしょう

その頃の人類にとって

千年も二千年も三千年も前のカルマを思い起こすことが続くことでしょう

人々はかぐわしい朝の香りの中で

森を歩きながら

海辺を歩きながら

あるいは街の上をライフ・ジャケットで飛びながら

さまざまな所に行きながら

ふとした瞬間に

何千年も前のカルマの重みが

まだ自分に残っていることに気づくことでしょう

それはどんな小さなささいに思われること

ほんのちょっとした乱暴な行為や

人を傷つけるような言葉さえも

なにかの拍子に人々は思い起こします

たとえば、二人の恋人たちが

いっしょにライフ・ジャケットで空を飛びながら

何かしら会話を楽しんでいるときに

ふとした心の動きから

その自分の恋人を

何千年も前に傷つけたことがあるんだなとに気づいて

自分のカルマを深く認識し

それによって、恋人との間にあった

過去のカルマを解消することが出来るでしょう

たぶん、そのときに

彼は彼女にそのことを語るかもしれません

あるいは語らないかもしれません

いずれにしても、深くそのカルマをひきずってきた

自分の心のありようをよくわかることによってしか

そのカルマは解消されないのです

そのとき

たとえ二千年前のことであっても

なぜあのときに、その人はそんなことをしたのか

それはどういう心の動きによってなされたのか

さまざまな欲望や感情によってなされたのか

ということがはっきりわかることでしょう

恋人と空を飛びながら

そのことに気づいて

カルマを解消すれば

二人はますます

心身ともに軽く生きていけるようになるのです

人を裏切ったり、傷つけたり

あるいは逆に、愛する者に執着し

その人を縛りつけておこうとしたり

そういうさまざまなカルマは

小さな出来事に至るまで

その時代に生きている全世界の人々によって想い起こされて

よく認識され

解消されていくことでしょう

それは、今の人々がほとんど想像を絶するような世界です

今の人々は、

ときには、その行動の中で

あるいは想いの中で

過去世のカルマを解消していることもあるでしょう

けれでも、多くの場合

さらに自分を重くするようなカルマを作りながら生きている

というのが現実の姿なのでしょう

三千年代の終わりに生きる人々は

数千年前の自分の想いを

そのとき思い起こして

すべて解消するという

ほとんど信じられないようなことを

人間の肉体をもちながら行うようになるのです

三千年代の終わりなると

人々は、自然とのふれあいにしても

想像も出来ないほどの繊細さデリケートさで

行うようになっています

三千年代の終わりの人々は

なぜそうまでして

どんな小さいカルマからも抜けようと努力するのでしょうか

それは、この地上に生まれたすべての人々が

完全に光に還(かえ)るために

そのための準備をしているのです

その頃の人々はその意味を充分にわかったうえで

その準備を続けているのです

それは人間が自分と思っている意識で

これとこれとこれを解消すればいいんだというような

そういうやり方で行われるのではありません

いや、それを試みる人もいるでしょう

けれども、そういうことによっては

カルマを解消することにはならない

しきりにいろんな反省をしたり

過去世を振り返ったり

その時点での人間関係をただそうとしてみたりしてみても

それによってはどうしてもカルマが解けないという

ジレンマに陥るかもしれません

そういう、自分の力を過信したやり方では

カルマを解くことは出来ないでしょう

そしてついて、自分のカルマを解くということでさえも

いわゆる小さな自分の力によることではないのだ

ということに気づくでしょう

それは、たとえばカルマを解く必要のある相手とは

おのずから出会うようになっているからです

別に探し求めて歩く必要もないのです

おのずから出会って

どういうカルマを解けばいいのか

わかるようになっているのです

それもいってみれば全宇宙の調和なのです

宇宙の調和というのは

そういうふうになっているのです

だから、それを信じて

そのままそれにまかせて

自分のカルマを解いていけばいいのです

自分の力を過信してやっていくと

かえって自分に頼るというカルマを作ってしまう結果になるだけです

人々は、自分のカルマを解くことさえも

完全にまかせきらなければなりません

そういうまかせきった生き方の中で

おのずからカルマの解消もなされるのであり

そのような大宇宙の法則

調和の仕組みに人々は気づくことになるでしょう

そして、

四千年を前にしたときに

この地上に長い間暮らしてきた人類が

一人残らず光に還るという

すばらしい最後のときを迎えることになるでしょう

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