#3 1980年6月16日

 ニューヨーク郊外の山中に、ニューヨーク禅堂の本山というのか、大菩薩禅堂金剛寺(こんごうじ)というお寺がある。ここは湖のほとりにあって、お寺のほかにゲスト・ハウスも開かれているので、子連れで泊りながら、朝晩の坐禅に参加させていただけるという。

 ちょうど今日から、祐助も夏休み。わたしは、梢と松村さんという友人を誘い、松村さんのぼうやも連れて、総勢5人で、早速、ゲスト・ハウスに行ってみることにした。

 大菩薩禅堂は、ちょっと想像もつかないような、雄大な境内をもっている。十万坪だかなんだか。境内に山あり、湖あり。とにかくわたしたちは、山門に着いたのだが、山門から本堂まで、歩いて登ると4、50分かかるという。

 うっそうたる木立の中に、渓流にそった小道があり、車に乗ったまま登っていくと、小鹿がひょいと、横切る。かわいい目をしている。このあたりには、野性の鹿やら、ウッドチャック、ビーバー、いろいろ住んでいるという。

 子どもたちの目が輝きだす。鳥が鳴いている。

 登りつめると、いきなり湖があった。ビーチャー湖。碧い、まあるい、おだやかな水である。水が、この世で最も美しい姿になって、山あいにやすらいでいる、という風情である。

 「まあ、きれい」

 「こんなきれいな湖が、ニューヨークにあったなんて、とても信じられない」

 梢さん、松村さん、ともに感に入っている。

 「マミー、ここで僕たち、ボートに乗れるの」祐助たちも、うれしそう。

 マンハッタンを出る時、雨が降っていたのに、大菩薩のお山はお天気だった。 

 ゲスト・ハウスは、瀟洒な、アメリカ風コテイジである。「アンクル・トムの小屋」を書いたストー夫人の実家の別荘として、今世紀はじめに建てられたそうだ。

 大きな、アメリカの男がぬっと現われ、「僕がゲスト・ハウスの責任者です。ようこそ」と、満面に笑(えみ)をたたえて、迎えてくれた。隣りに、のっぽの、清楚な女性がいる。

 2人は、法名を、耕心さん、稀香さん、といい、それぞれ、お坊さん、尼さんの志願者だそうである。もちろん、日本語はしゃべらない。

 ゲスト・ハウスは、どこも木造りで、80年を経た今でも、まだ木の香がにおうような趣きがある。

 2階に小さな禅堂があり、その隣りに、このお寺を、現在の嶋野栄道老師とともに建てられた三島龍沢寺(りゅうたくじ)の中川宋淵老師のお部屋というのがある。

 子どもたちを連れて、まずはボートに乗る。

ビーチャー湖の水は、春の草のようにやさしく、さわさわとオールに戯れ、一吹きの風とともに、わたしたちを湖のまん中に押し出してくれた。

 「あっちのブッダのところに行こう」

 祐助が指さす対岸に、大きな岩があり、その上に青銅の仏像がある。

 舟を漕ぎよせると、仏像の下に、白い木の山がある。ビーバーの巣である。

 「ウワァ、僕たち、ビーバーに会える」

 子どもたちは大騒ぎだが、臆病者のビーバーが、子どもたちの前に姿を見せるはずはない。

 「ビーバーはこわがりだから、無理よ。鹿やハリネズミやウッドチャックなら、きっといると思うわ」

 わたしたちは、ボートを降りて、材木置き場のそばの、岩塩が置いてあるところにいった。

 いる、いる。鹿の親子が十頭ほど群れている。小鹿たちのかわいいこと。耳をピンと立て、つぶらな目で、キョトンとこっちを見ている。

 「抱っこしたいなあ」

 子どもたちは近づきたがるが、人に慣れていない野性の鹿である。2、30メートル離れていないと、さっと身をひるがえして、林の中に逃げ帰る。

 のんびり人に近寄ってくるのは、ウッドチャックのおばあさんである。彼女はゲスト・ハウスの下に、穴を掘って住んでいるようで、のそのそと、耳のない野うさぎのような体をさらして、やってくる。

 もう1匹、うろうろしているひょうきんものは、ハリネズミだ。絵本にある黒い針だらけの姿でヒョイと現われては、人をびっくりさせる。

 ヘビもいる。赤ギツネ、アライグマもいるし、時には熊の親子さえ、姿を見せるそうだ。

 鳥もいる。ウッドベッカーが木をつつき、ガレージの屋根に、ツバメが巣をつくっている。

 夕食のベルが鳴る。滞在者は、老画家のチャーリー夫妻と、生れてくる赤ちゃんを楽しみにしている若夫婦ジョーン夫妻、それにわたしたち5人。料理はアメリカ風精進料理で、野菜入りピラフ、野菜スープ、サラダ。耕心さんの味付けは、なかなかである。

 食後、チャーリー、ジョーン、梢、松村さん、わたしの5人がこげちゃいろの剣道着のような僧衣を借りて、坐禅のために、禅堂に登っていった。

 大菩薩禅堂は、大きな、日本の寺である。陥い廊下の奥に、本堂があり、さらに奥まって禅堂がある。

 夕暮れて、禅堂は今、薄闇の中にある。

 グヮーン  グヮーン。 

 古い大きな鐘が鳴り響く。後はもう、何も音のない世界である。身動きすると、木綿の僧衣がガサッという。隣りの人がツバを飲む音さえ、はっきり聞える。

 空気が、ガラスになってしまったように、張りつめている。その張りつめた空気を肌に感じながら、わたしは息を数えている。これほど張りつめた静寂の中にいると、突然、発狂したように、ワァーと叫びはじめるのではないか、自分が今にもそんなことをしそうな恐怖を覚える。

 鐘が鳴り、おシャカさまやら、達磨大師(だるまだいし)やら、臨済禅師(りんざいぜんじ)やら、いろんなえらい人たちの名を連ねた読経があり、やがて2時間の坐禅が終った。

 夜の廊下を、黙って歩いていくと、突き当りの部屋に明りがともり、栄道老師がにこやかに、

 「お茶を飲みませんか」とみんなに呼びかけておられる。

 そこは、日本が懐かしくなるような和室で、窓にいい音の風鈴が下っていた。

 老師は、アメリカ人たちには英語で、わたしたちには日本語で、風鈴の詩を教えてくださった。


 渾身似口掛虚空 不聞東西南北風

 一等為他談般若 滴丁東了滴丁東


 この詩は、道元(どうげん)さんが中国で、師の如浄(にょじょう)禅師から教えられたものとか。

 「渾身、口に似て、虚空に掛り、東西南北の風を問わず、一等に他が為に般若を談ず、滴丁東了(テイテントウリョウ)滴丁東」と読むのだそうだ。

 風鈴は、全身、口のような格好をして、虚空にかかり、東西南北、どんな風が吹いても、吹かれるままに、誰にでも等しく、般若を説いている、ちんちろりん、ちんちろりん、というわけである。

 わたしはこの詩が好きだった。老師はわたしたち3人に、

 「大菩薩のお山はいかがですか。どうぞ、朝はゆっくりしてください。昼もゆっくりしてください」

といわれ、笑いながら、「夜もゆっくりしてください」といわれた。

 わたしたちは、ゲスト・ハウスに帰る道々、

「これは、朝の坐禅にがんばって起きなくてもいい、ってことじゃない」と松村さん。

「明日の朝、どうしよう。禅堂に来ているんじゃなくて、わたしたちはゲスト・ハウスへ遊びにきているわけだから、ポートに乗って、鹿と遊んでいるだけでいいとか」わたしも、あまり気のないことをいった。梢だけは、

「わたしは起きるわよ」といいきった。わたしは、いつもの調子で、明日の朝、決めようと思っていた。

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