#7 1980年6月20日

 嵐の朝であった。雨は強く降り、風は激しく吹き荒れ、湖は荒々しく、黒く光っていた。大菩薩のお山は、一変して、険しい姿となった。

 今朝はもう、ニューヨークに帰らねばならない。最後の坐禅だな、と思いながら、禅堂のいつもの座に坐る。

 座は薄暗く、風の音がヒョーヒョーときこえる。

 閑かに坐っていると、5月にニューヨーク禅堂で感じたのと同じ、深い深い淵にひきずりこまれるような、崖の淵際に立っているような感じがする。この淵に下ると、なにもかもガラガラと崩れてしまう。ああ、恐いところだなあと思う。崩れていくのは、今までもっていた価値観で、この淵に下っちゃったら、それが一変してしまうんだな、恐いなあ、と思った。

 ただただ、坐禅していた。坐禅の終りを告げるカチッと鳴る拍子木の音で、ともかく立ち上がったけれど、まだ、坐禅のなかにいた。

 禅堂から食堂まで、しずかに僧衣の行列はいく。わたしはゲスト・ハウスの住人だから、途中で列からぬけて、ゲスト・ハウスへ戻るのだけれど、それができなくて、1人、本堂に引き帰した。

 誰もいない本堂で、わたしは坐っていた。仏さまというのがなんなのか、なんにもわからなかったけれど、そんなものがあるのかどうかもわからなかったけれど、わたしはただ、心の中で熱い涙が溢れ、流れていくのを感じて、そこにじっとたたずんでいた。

 時は流れていく。祐助が待っているな、みんなが朝食の食卓で待っているだろうな、どうしても戻らねば、と思って、ゲスト・ハウスに帰る。

 チャーリーさんやら奥さんが、ニコニコと話しかけてくる。いつもの楽しい食卓なのだが、わたしはちっとも答えられない。英語がでてこないし、しゃべることができない。

 「ああ、あなた、モーニング・サービス(朝の坐禅のこと)にいったのね」と、チャーリー夫人がいえば、チャーリーは、

 「いま、あなたはとってもいい顔をしている」と、わたしを見つめていう。

 わたしは困って、

 「ここで、たくさんのことを学びました。みなさん、ありがとう!」といったきり、黙ってしまった。

 ニューヨークに帰る用意をする。もう日程をのばすことはできない。

 老師に、ごあいさつに伺う。朝の坐禅で、あまりにも感動していたため、1人でいくことがためらわれた。禅も仏教もへったくれも、なにがなんだかわからぬままに、わたしの心は、深く深く感動していた。

 なにかいおうとすると、泣きだしちゃいそうだな、と思った。いつにないことである。で、祐助といっしょに、お別れのごあいさつにいった。

 老師は祐助の胸に、「夢」という字のバッチをつけてくださった。祐助は黙って突っ立っている。

 「ありがとうは」と.わたしがいうと、彼はボソッと「ありがとう」といった。

 老師は、「True ありがとう、じゃなきゃ、だめだよ」といわれた。

 老師は世間話をされるけど、わたしは、そんな気持になれない。さりとて、これはいったいなんなのか。なんといっていいのか、皆目わからない。

 「今日、帰るのは残念です。もっともっと、坐禅してみたいと思うようになりました。接心(せっしん)というのに、きてみたいです」というと、老師は、

 「接心」といって、わたしの顔を見られ、「1週間、坐って、しゃべりませんから。あれは、ズーンときますよ。まあ、その前に、また梢さんとゲスト・ハウスにでもいらっしゃい」といわれた。

 わたしは、自分の気持をいい尽せないことが、もどかしかったけれど、しょせん、この気持がなんなのか、自分でもわからないことだし、ニューヨークに帰ってしまえば、今朝の感動なぞ、高炉の前の朝露のように消えてしまうかもしれないし、もう黙っていよう、と思った。

 雨がやんで、濡れた樹々が、美しかった。黒々とした幹の向うに、湖が、今朝方の波を忘れたように、静まりかえっている。

 山を立ち去るとき、ふっと、ああ、もうここに帰ってこれなくてもいい、これで充分だ、と思った。充ち足りた気持だった。

 帰りのバスの中でも、わたしは口をきく気になれない。祐助に、「マミーは眠いから、あなたも寝なさい」と、彼を寝かせて、わたしはノートをとりだした。

 朝の、不思議な感動を、書きとめておきたいと思ったからだ。ゆれるバスの中で、ありのままの気持を書き記した。

 困ったことに、ニューヨークのアパートに帰りつき、日暮れても、呆けたように、わたしはしゃべれない。心ここにあらざれば、とはこのことで、わたしの心は、いまもって坐禅のままというのか、日常の感覚は戻ってこない。

 「帰ってきたわよ」と、夫のオフィスに電話しなければならないのに、それさえ思うようにできないのだ。

 虚脱状態とでもいえばいいのか。身も心もどこへいってしまったのか。それでも、なんとか努力して、ふつうの暮しに戻ろうとする。

 夕餉の仕たくをし、久しぶりに帰宅した夫を迎えて、笑顔をつくろうとする。

 「大菩薩の山はどうだった。いいところだったろう。俺は、冬の雪の降る時しか知らないけどな」

 「山はすばらしくきれいだったわ。わたしは、坐禅が好きになったみたいよ。なんだか、家に帰ってきても、まだ坐禅しているみたいで、少しへンなのよ。疲れ過ぎちゃったのかしら」

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