#8 1980年6月22日
山のお寺から帰って、もう2日もたっているのに、まだわたしは、あの最後の坐禅の感動からぬけられないでいる。
人としゃべるのも、おっくうだし、なにをしようとしても、気持はふっとニューヨークを離れ、山のお寺の禅堂へと戻ってしまう。もっと坐禅をしたくて、家の中で坐禅をする場所を探す。が、どこの壁にもなにか邪魔なものがあり、ついに、廊下のつきあたりの白いドアに向って坐るのが、一番いいことに気づく。坐蒲(ざふ)という丸いクッションはなし、枕ではやわらかすぎるし、面倒くさくなって、『広辞苑』の上に坐っちゃうことにした。
ウィーク・エンドのことでもあり、1人きりの時聞はほとんどないので、深夜、ふっと目が覚めると、廊下のつきあたりに『広辞苑』をもっていって、坐っていた。なにかに憑かれたように、ただ坐禅をつづけたくでしょうがないのである。
この日曜日は、友人のメレデス夫妻に誘われて、いっしょに近代美術館のピカソ展を見にいくことになっていた。
「わたし、今日はどこにも行きたくないんだけど」
「そんなこといったって、前々からの約束だろ」夫にいわれて、
「じゃ、お酒落でもするか」
わたしは、なんとなく、最近買ったカルバン・クラインの絹のスーツを着こみ、マンハッタンの五番街を歩くらしく、装ってみた。
6月の太陽は、ルーズベルト島を照らし、島民たちは、水着姿やGパンをぶった切ったショーツで、芝生の上に、気持よさそうに寝ころんでいる。のどかな、初夏の日曜日である。
ピカソ展は、メレデスが、夫のデービットとわたしたち2人分の切符をどこからか手に入れてくれたので、たいして並ぶこともなく中に入れた。
中は、絢欄豪華な別世界であった。ピカソが天才であるとは知っていたが、これはもう、とてもとてもたった1人の天才の仕事とは思えなかった。絵は製作年代順に並んでいた。ある1つの時期を過ぎると、彼はまったく別人のような.異なる才能を見せる。
ハッと息をのんで、そのブロックを過ぎると、次には、彼がさらに第2の別人に変身したかのように、また異質な画風が展開される。それが、これでもか、これでもか、と続くのである。いったい、ピカソは何人の人なのか。彼にとって、人生は、こんなにも多様な味わいだったのか。それとも、これほど違って見えるものは、彼の中で、やっぱり1つだったのか。
こんなことを、鮮烈に、かつボンヤリと思いながら、ピカソ展を見た。彼の絵の訴えかけるものは、この上なく鮮烈なのだが、それを受けとめるわたしの心は、ボンヤリとしていた。
展覧会の終り頃、クラクラと目まいがして椅子にすわりこんでしまった。
五番街を歩いて、プラザ・ホテルでお茶を飲んだ。小さな、おいしいオープン・サンドをつまみ、お酒やらコーヒーやら。バイオリン弾きのおじさんたちが現われ、このクラシックなカフェテラスにふさわしい、いい曲を奏でる。
デービットは、プリンストン大学のマスターだかドクター・コースまで進み、哲学を勉強した人である。哲学者になるつもりだったが、どこかで挫折し、いまは会社勤めである。
「坐禅というのは、やってみるとけっこう面白いですよ」と、いってみる。けれど、デーピットはのらない。彼は、仏教という思想を、論理学の線上にのせようがないからと、それだけで否定してしまっている。
わたしは、デービットに反論するだけの、英語力も気力も、今日はないことを感じる。
「さて、これから『エンパイヤ・ストライキ・バック』を見にいきませんか」デービットはニヤニヤしていう。映画「スター・ウォーズ」の第2作目、「帝国の逆襲」を、これから見にいこうというのである。
わたしは、もしニューヨーク禅堂があいているなら、帰りに坐禅したいと思っていたくらいだったから、宇宙大戦争の大音響を想像しただけで、頭がクラクラしてきた。「疲れすぎているから」と、わたしは家に帰ることにし、夫と祐助が彼らといっしょに、映画を見にいった。
やっと1人になれて、また廊下のつきあたりで、少し坐禅をした。それから、嶋野栄道老師に手紙を書いた。
「先日は、大変、お世話になりまして、ありがとうございました。
出発の日の朝の坐禅の後、わたしはあまり深く感動していたので、老師に、そのことをお伝えしたいと思いながら、なぜか言葉になりませんでした。ただ、もっと坐禅してみたいと思うとだけ、申し上げたように思います。
あの朝の感動は、いまでもわたしをとらえて離しません。ニューヨークに帰って、もう2日たっているのに。
わたしはいま、このような手紙を書いていいのかどうか、迷いながら、机に向いました。わたしは自分のいい加減さを、知っているつもりです。明後日には、わたしの心はどんなところに飛んでいってしまうのか。やーめた、やーめた、といいだすかもしれないのです。
このわたしのいい加減さを、もし許してくださるのなら、いまどうしても書かずにいられない、わたしの気持をくんで、どうか読んでみてください。
あの朝、わたしは疲れすぎてもいなかったし、気負いすぎてもいなかったし、なんということもなく、ただ、じっと坐っていました。そうしたら、そうしているだけで、十分な気がしました。坐禅は、なにかを求めてするもんじゃないんだな、ただ、生きていくためにするもんだな、なにかに到達すれば、それはそれでいいし、そうでなくても、別にかまわないという気持になりました。
足が痛いことも、気にならなくなりました。なんというか、痛いことも受け入れてもいいという気がしました。そうしたら、そんなに痛くもないような、ともかく気にならなくなりました。
こうして静かな気持で坐っていると、ふと、わたしが知っている、ほんの2、3の仏教用語の一つ、諸行無常という言葉に行き合いました。諸行無常。そのことを考えつづけたわけではないのですが、この後、わたしは、なにか深い深い淵にひきずりこまれるような、その崖の淵際に立っているような、奇妙な感じがしました。そして、ああ、ここは恐いところだなあ、いやだ、いやだという感じでした。心はもちろん、すごく静かでしたけど、この淵に下ると、なにかが、ガラガラと崩れていきそうでした。
そして、ああ、この間もこんな感じになったんだな、と、5月に二度目にニューヨーク禅堂にいったときの感じと、これが同じ感じであることに気づきました。5月のときは、わりにすぐに、あの恐ろしいような、のめりこみそうな淵に立った感じを忘れてしまいましたが、今度は、この感じが、一種の深い深い感動となって、わたしの体と心の中に残ってしまったのです。
ニューヨークに帰ってきても、なんとなくみんなと話をするのがおっくうで、すぐ気持が山での体験に戻ってしまって、まるで、呆けたようです。これは、疲れすぎなのでしょうか。それとも、カルチャー・ショック、いったいなんなのでしょう。まるで、坐禅をしたら、もっと坐禅をしたいという、悩みにとりつかれて、考え込んでしまったようです。
忘れた方がいいことだったら、一言、Forget about it!(忘れろ!)とおっしゃってください。そう、努力します。
もしそうでないとしたら、 わたしはもっと坐禅をしてみたい。なにかが始りかけたのに、いま、わたしは無理やり、それから引き離されてしまった。人生観が変ったのではなくて、変りそうな、なにかが始りかけたのに、また、忙(せわ)しないニューヨークの日常に戻ってきてしまった。正直いって、いますぐに、山の禅堂に戻りたくてしょうがないのです」
ちょうど書き終った時に、
「マミー 、すごく面白かったよ。マミーも来ればよかったのに」と、祐助が飛びこんできた。
「そう、それはよかったわね。マミーも、こんど見ましょ」
目を輝かせている祐助の興奮をしずめて、寝かせ、わたしも寝ようとした。
と、突然、頭の中に光がきらめいたと思ったら、わたしがこれまで考えたこともない、ある思想が、ダッーと一気に、転がりこんできた。
それは、いいようもなく不思議な瞬間であった。
「時はないんじゃないか」とか、
「あなたはわたしである」とか。
そんなこと、一度も、チラッとさえ考えたことのないことばかりであった。
なにか、すごいことが起こっている、と思って、その時、頭に飛びこんできたことを、枕元にあったノートに書きとめた。それは、一瞬のうちに飛びこんできたのに、書いてみると以外に長かった。ただ、あまり不思議だったので、一言残さずに書きつけた。
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