#11 1980年7月4日

 7月4日は、アメリカ独立記念日である。1976年のこの日、独立200年を祝う、盛大なお祭のなかで、大菩薩禅堂金剛寺は開かれたそうだ。

 それから4年目の今日、大菩薩禅堂では、6人のアメリカ人の得度(とくど)式が行なわれている。

 わたしはぜひ、この得度式に行きたかったのだが、得度式は接心中に行なわれるので、まさか祐助を連れて行くわけにもいかず、マンハッタンで暮していた。

 夏の真盛り。華氏100度を越える日々が続き、ルーズベルト島の樹々は燃えさかり、大地も、河も燃えていた。

 なぜ、6人のアメリカ男は、出家するのだろう。金髪やら栗毛、灰色、思い出あるだろう髪を剃り、墨染めの衣を着て、山に籠る。マンハッタンには、面白い暮しがあるのに、なんでまた。

 耕心耕道さん。38歳。ゲスト・ハウスで料理の腕をふるっている彼は、坐禅歴10年。ワシントンで役人をしていたそうだが、職をやめ、妻子と別れてまで、お坊さんになりたいという。

 禅林智道さん。やはり30代終り。数学者で、どこぞの大学教授の職を捨てて、禅の道に飛び込んだ。中国語、日本語が少しできる。「豆腐作りはうまいが、ちょっと変屈な男でね」と、老師はいわれる。

 法海至道さん、33歳。インドやネパールで長く修行し、ラマ僧となったが禅と出会って、修行しなおす気になったとか。

 伝光黙道さん。デンマーク出身だから、デンマークの光となるべく、法名がつけられた。「この人はね、しゃべってばかりいるんで、黙道としたんですよ。アハハ」老師は笑っている

 栄道老師はいたずら好きである。

 「アトランタ出身の男が、名前をつけてくれとあんまり何度もいうものだから、去風とつけたんですよ。あそこは、『風とともに去りぬ』の舞台ですから」

 奉行泰道さん。22歳。ロチェスター大学の哲学科を中退し、大菩薩に居ついてしまった。若いけど、なかなかの人物らしくて、老師は彼の将来を期待しているようである。

 北斗南道さん。23歳。アートの学生だったが、たった一度、大菩薩の接心に参加したため、人生が変ってしまった。坐禅に深く魅せられて、お坊さんになろうと思い、すでに100日の結制という修行に3回参加したそうだ。

 この6人が、今日、頭を剃っている。髪の毛がなくなったら、みんなどんな顔になるだろう。とにかくみな、カラッとした人たちで、人にはできない禅の修行をしているのだぞ、というふうな気負いも、威張りもなく、ほんとうに自ら選んで、この道を行くという感じである。

 第一、彼らには継ぐべきお寺もないし、檀家もなく、お葬式の依頼もなく、 お布施もない。ほんとうに無一文。彼らの出家は、文字通り出家らしい出家である。自らの修行以外、何もない。

  仏教は昔、インドから中園、中国から日本へ伝えられた。そして今、日本からアメリカ、ヨーロッパへと伝えられているという。

 息が長いというか、ほとんど夢物語のように遠い将来、アメリカやヨーロッパの人々にも、仏教が滲透していくのだろうか。

 広いアメリカの中で、小さな小さな点にすぎない大菩薩禅堂で、今日、アメリカ人のお坊さんが生れているんだなと思うのは、やはり感慨深いことである。

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