#12 1980年7月20日

 わたしたちは、家族揃って、夏休みの1週間を、大菩薩のお山のゲスト・ハウスで過すことにした。いつもなら、バーミューダ島や、バハマの島に行くのに、この夏は、わたしも祐助も、ビーチャー湖のほとりで暮したかった。夫も、「あそこはいいところだから」と、つきあってくれた。

 わたしたちは、遊び呆けた。ブルーベリーを摘みながら、湖のほとりの小道を歩いて、対岸のブッダのところへ行ったり。禅堂の裏では、真赤なラズベリーを見つけて、とっては食べ。甘酸っぱい香りが、なんともいえないうまさである。

 祐助は、ビーバーの巣から、彼らがすっかり皮を食べてしまった、白いつるつるの枝を失敬してきて、杖をつくった。その杖をついて、禅堂裏の急な山道をよじ登り、湖と山々が一望に見下せる見晴し台に行った。

 夫と祐助は、ビーチャー湖に飛びこんで、泳いでいる。

 「いい気持だよ、マミー。マミーもこない」祐助はアメリカ育ちなので、泳ぎがうまい。

 わたしは、花咲き乱れる草の上にいる。寝ころんで本を読んでいると、白い蝶が舞い降りてきた。ここでは、夢のように閑かに、時が流れゆく。

 山へ登ってくるバスの中で、夫に、例のメモを見せて、見性の件を伝えた。

 「信じられないね」

 彼は、これだけいった。

 「そういうことは、滝に打たれて修行したり、岩山に籠って何年も坐禅したような、昔の高僧にだけしか、おこらないことじゃないの。今の日本には、そういう人はいないんだと思っていたよ。俺には、とうてい信じられないね」

 「そりゃ、そうでしょ。わたしにも信じられないもの」

 何となく妙に、尻きれトンボな会話であった。

 「このことは、誰にもいわないでね」といったら、彼は、

 「いうわけはないだろう。うちのカミさんが、悟りを開いてね、なんでいえるわけないだろう」

 「アッハッハッ、マンガみたいね。コロンボ刑事風に、うちのカミさんが、って、やったら。まあ、わたしも最初、びっくりたまげたけど、生活に支障なし。大丈夫みたいよ。あんまり気にしないで」

 さんさんと輝く陽を浴びて、草の上で坐禅する。目の前は湖。光る水を見るともなく見て、坐禅していると、このまま体ごと溶けて、草や土になってしまいたいように感じる。ただ、溶けてしまいたい、と思っていた。

 夫の漕ぐオールの音が聞える。鳥がいろんな声で鳴いている。

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