#15 1980年7月27日

 大菩薩のお山を去る日である。

いつものように朝の坐禅が終り、わたしはまた1人、本堂に戻って坐った。この山にわたしは 全部あわせても2週間いただけである。まるで、1年も2年もいたような気がする。これほど短い間に、これほど多くを学ぶことがありうるだろうか‥‥‥。

 わたしはただただ、合掌していた

 禅堂を出ると木立が朝陽に輝いている。ビーチャー湖はまだ眠っているように、とろんとしている。ミルク色の朝もやが水面を包んでいる。

 地球はふといたずらをして、ここに限りなく美しい、自分の姿を見せている。

 一人静かにボートを漕ぎだす。朝の湖のまどろみの中で水音さえ、きつくポチャと響く。わたしは、できるかぎりやわらかに、水を切る。

 小鳥が、無数にさえずっている。風は、まったくない。湖のまん中、ブッダの像に近いところで、ボートをとめる。

 わたしはもう、ビーチャー湖のもやになってしまっている。息さえ、ひそやかにしていると、人の気配がしないのか、ビーバーが何匹も泳いでいる。いたずらっぽい目をした、かわいい顔して、ヒョイと顔を水面にだすかと思うと、鯉のようになめらかに、水にもぐる。

 楽しそうだなあ。

 ビーチャー湖の上は、時として、童話の世界である。

 そっと、かいを漕いで、岸によせる。

 耕心さん手をつくりのバナナマフィンで、おいしい朝食をいただく。祐助に、「今日はもう、帰るのよ」という。

 「ぼく、帰るのはいやだよ。ぼくはここに200年もいたいんだ」と、彼は言い張る。

 「じゃ、あなたも耕心さんみたいにモンクにならなきゃ」わたしが軽くいうと、彼はふいに、

 「Long long years ago ぼくはモンクだったと思う」という。

 わたしは内心びっくりしながらも、静かに、「どうしてそう思うの」ときいてみた。

 祐助は黙っている。

 そしてつぎの瞬間、ぼくはなんで、そんなこといったんだろう、というケゲンな顔になった。

 この祐助の言葉は、驚きであった。わたしは、自分が禅に興味をもったというものの、祐助には、一言もなにもいったことはなかった。ましてこの世に生れてたった7年しかたっていない彼の、ロングロングイヤーズアゴーなんて、誰が考えようか。わたしは、前世、来世なんて想像もしたことがないし、とても信じられないような気がする。

 でも、どうして祐助は、こんなへンなことをいったんだろう。聞き違えではなく、冗談でもなく、真面目な何か考えているような表情で、はっきりとこういったのである。祐助は、昔々、お坊さんだったのかしら? わたしはキョトンとして、こう思った。

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