#16 1980年7月28日、7月31日、8月8日
7月28日
午後、流しでお米をといでいる時であった。また、いつかのように突然、ある物語がわたしの頭の中に飛びこんできた。
あっと驚くような、信じ難い物語だったので、わたしはまたも、びっくりして、慌ててノートを取りにいき、そのまま書きとめた。
書きとめたものの、頭がクラクラするような、あんまりな話であった。もう、どう受けとめたらいいのか、まったくわからずに、このあいだ以上にうろたえてしまった。
7月31日
ショックなことではあったが、前世の物語がわかってみると、急な帰国ということで動揺したわたしの気持は、みるみるやすらかになっていった。
まだ、この前世の物語を信じているわけではない。でも、信じる信じないとは別に、わたしの心は、いつかのように出るものは出たという感じで、落着きをとりもどしていた。
夕方、ニューヨーク禅堂の坐禅会に行く。お茶の時に、老師はふと、
「何かいいことがあったでしょう」とおっしゃる。
「どうしてですか」
「いや顔が変ったよ」
わたしは、
「じゃ、やっぱり. あれはいいことだったのかなあ」とつぶやき、思いきって
「前世ってあるんですか」ときいた。
老師は、
「そんな話はここではできない」といわれ、「ルーズベルト島は、河の真中だから涼しいでしょ」
と、涼しい顔でいわれる。
「わたし自分の前世の物語みたいなのが、頭に飛びこんできてまた、びっくりしているんです。そういうことつであるんですか」
あんまり真剣にわたしが聞くものだから、老師もついに
「前世の記憶がよみがえってくるというのは、坐禅を続けていれば、ありうることです」といわれた。
8月8日
わたしは、思いきって、数日前に書きとめたメモを取り出した。
「台所の流しで、昼ご飯のための、お米をといでいたら、突然、あ、前にも同じことをしていたなと思った。
この時、ふっと、昔の日本の田舎の暗い土間の光景が浮び、藍色の木綿の着物をきた、10歳くらいの髪の毛の短い少年が立っていた。江戸時代の終り頃、奈良のはずれのある場所を思った。
あ、あなたこんなものが好物だったわね、と、わたしはその子に語りかけられそうな気がした。厚揚げとか干物とか。
この子は、わたしが前世で愛していた末息子で(1人息子かもしれない)、甘ったれのきかん坊で、親のいうことをきかずに、山か海に行って、若くして死んでしまった(10代の終り、多分19歳で)。そして、母親のわたしを深く悲しませた。
その子は、お坊さんになりたいと思っていたけれど、その暇がなかった。母親は信心深くて、その子の死後も、長く霊をとむらった。
そして、どのくらい時が経ったのか。1980年のニューヨークで、不思議なめぐりあいがあった。
その時の息子は、『何回も何回も生れ変って、いつかお坊さんになりたい』という願いがかなって、りっぱなお坊さんになっている。その時の母親は、今はまた、別の子どもの母親で、なぜか禅のお寺へやってきた。
そして、坐禅をしているうちに、深い深い意識の底に沈んでいた、遠い昔の思い出がよみがえってきた。
多分、遠い昔の息子も、同じように何かを感じて、驚くような、めぐりあいの日々があった。坐禅やら、読経やら、燈籠流しやら、野辺の送りやら。わたしは老師に、なんともいえぬ親しさを感じていたから、何のためらいもなく導かれることができた。
遠い昔の母親は、『あなたは、ほんとうにりっぱなお坊さんになってくれました。われですっかり安心しましたよ。そして、今度はわたしを、不思議な力で彼岸へと導いてくれるのですね。ありがとう、ありがとう』といっているようだ‥‥‥」
このようなことに接して、わたしがどのくらい驚き、戸惑ったか、言葉にならないほどだ。頭がクラクラし、これが狂気でないということは、ありえるだろうか、と何度も何度も思った。
しかし狂気というには、あまりに閑(しず)かで、透明であった。はじめの鷲きから立ち直ってみると、もし、これが真実だとしたら、何と幸せなことだろうと思えた。
だって、人聞は死なないのである。
人生って、いま目に見えている、これだけのこれっぽちじゃ、ないのである。人の生命は、ポキポキと折れる小枝のような、切れっ端じゃなくて、大河のように悠々と、たゆとうように流れ、脈脈として尽きることのないものである。
ああ、わたしはすっかり変ってしまった、と思う。坐禅をはじめてから、わたしの人生は大きく変ってきたが、今度の出来事はまた、強烈にわたしをのみ尽した。
無限の過去の海の中に、わたしたちは生きている。ということは、無限の過去、無限の未来をも放りこんだ、無限の今の海の中に、わたしたちは浮んでいるのだ。
この思いは、わたしを安心させた。すべては、無といえば、無であるけれども、有の海もまた、これほど豊饒なのだ。
引越しの荷作りをしながら、わたしは思いを巡らせた。
暑い暑い夏の日である。
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