#17 1980年8月23日

 ルーズベルト島のわが家は、家具もなく、花もなく、ジュータンさえなく、ガランとしていた。

 わたしたちの3年間の暮しを包んでくれていたやさしい空聞は、もはやない。

 ニューヨークを去る日がきた。祐助とわたしは、夜の便でロンドンに飛ぶ。夫は、仕事の都合で、一週間ほど遅れてニューヨークを立ち、アテネの空港で、わたしたちは再会することになっている。

 1週間しか休みがとれない夫は、「仕事で行きそうもないところを見ていこう」といい、クレタ島とインドを家族旅行することにした。

 その前に、わたしは祐助を連れて、いとこの住むロンドンとパリに立寄る。

 「さあ、今日1日のニューヨーク。どこへ行こうか」、わたしがいえば、フランス料理やイタリア料理の大好きな夫は、

 「ウエスト・サイドの南フランスの料理を喰いに行こうや」という。

 見おさめというよりは、ニューヨーク喰いおさめである。3人が3人とも喰いしん坊のわが家にふさわしい。

 家族3人で、クレタ島と、インドのカジュラホ、ベナレスをまわった後、わたしは1人でインドに残り、仏蹟を訪ねようと思っている。にわか仏教徒ではあるが、この機会にぜひわたしは、おシャカさまの地に触れてみたいと思っていた。

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