#20 1982年2月13日
毎月13日に、陵禅会という坐禅会がある。学生時代には、大学のキャンパスに禅堂があることなど、気づかなかったのだが、テニスコートの奥に、うっそうとした木立があり、古びた三昧堂という建物がある。
ここでは、わたしたちが、在学中、安保反対デモに行っていた頃も、それどころか太平洋戦争中さえも、坐禅がつづけられていたという。
陵禅会は、三島の龍沢寺の中川宋淵老師が、昭和9年に創設。今でも、宋淵老師と同じ龍沢寺の鈴木宋忠老師がみえて、提唱される。
ニューヨーク禅堂の嶋野栄道老師は、宋淵老師の法を継がれているし、いろんなご縁が重なって、去年から、わたしはこの坐禅会に行くようになった。
ほんとに、ご縁というものは不思議に、糸がより合さるように重なっているものらしくて、たしか去年の6月、はじめてこの会に参禅した時、わたしは20年ぶりに、学生時代の担任であった、森本和夫先生に再会した。森本先生はフランス文学の先生だから、フランスに留学され、アルプス山中で坐禅をされた。帰国して、やはり、この夜はじめて陵禅会にこられたとか。
「まあ、先生はフランス、わたしはアメリカで坐禅を学んで帰国し、なぜか今夜、陵禅会でお目にかかれるなんて」
先生は変っておられなかったけれど、10代だったわたしが、もう40歳。昔の面影さえないようで、先生はびっくりしておられた。
そして、今日2月13日。冬の日ははやばやと落ちて、6時には真暗。ほとんど明りさえ灯っていない三昧堂で、閑かな坐禅の時が流れていく。
2つの入口は開けっぱなしで、2月の夜風が堂内を吹き抜けていく。
寒い、寒いと思っているうちに、まるでわたしの体がなくなってしまったように、夜風はわたしの体も突き抜けていく。
お堂の内に、20人ほどの方が坐っておられるはずなのに、ふっとみんな仏像に感じられ、闇はますます深くなって、一切を呑み尽してしまう。
ああ、この地上には、人っ子一人いないんだな。今まで、自分がいないと感じたことはあったけれど、相手も誰もいないんだ。この地上には、人っ子1人いない!だから、原爆が落ちたって、死ぬ人もいないんだ!
この夜坐のとき、こんなふうに感じた。すばらしい体験だった。
宙を飛ぶような、不思議な気持で帰宅しながら、それでも、明日のお弁当のおかずを買わねばスーパーマーケットに入った。が、わたしは何を買ったらいいのか、選ぶことができない。深い坐禅の後、時として、いわゆる現実の世界を生きる感覚にしばらく戻れないことがある。
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